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zoom RSS 三笠宮殿下米寿記念論集 気になったところメモ Part.2

<<   作成日時 : 2014/12/18 00:10   >>

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読まなきゃ本が返せないので、頭に入るかどうかはおいといてとりあえず全部読む。
そして気になったところをメモる!

収録内容の目次はこのへんから。
http://honto.jp/netstore/pd-worklist_0602509840.html



★ゾロアスター教と神秘主義

"密儀宗教を代表するミトラ教とゾロアスター教の関係については、未だ定説が存在しない"という記述で、あっそうなんだ? という感じ。ミトラとゾロアスターとグノーシスは神秘主義のラインだと纏まるのか… 改めて哲学と神秘主義の違いってなんだろうとかちょっと考えてしまう。

マニ教的二元論はグノーシスに近く、ゾロアスター的二元論とは違う、と書かれているが、違いがよく分からない。マニ教とグノーシス思想は原始キリスト教からの派生だということを書いているのだろうか。



★【オビタマ】と珥と【ケツ】状耳飾

玦(おびたま) 玦状耳飾
普段あんまりつかわない漢字。「決」の文字でも置き換えられる。玦状耳飾は縄文人のイアリングのこと。中国の玦に形が似てるからそういう名前なんだというのは知ってたけど、実際に縄文時代から大陸との交流があった可能性が論じられているのは知らなかった。稲作(弥生文化)から交流始まったと思ってた。



★シナイ半島ナークース山のアラビア語岩壁碑文について

ナークース山どこだよと調べてみたらここ(Jabal Naqus)。カテリーナ修道院あるとこのすぐ近くっすね。初期キリスト教の巡礼者が書いたなら分かるけどアラビア語、コプト語、ギリシャ語、さらにナバテア語ほかヨーロッパ諸語の落書きもあるらしい。ふむ。

ヨーロッパ諸語の落書きは比較的近年のものも多そうだが、アラビア語の落書きは古いものだとヒジュラ暦100年代とか。古くから人の行き来の要所だったことが分かる。
この小論は落書きの年代表記の仕方についての考察だったので、どんな人が書いていったのかについては注記に書かれているものだけだが、それによるとナークース山にはかつて修道院があったという。鳴き砂でも有名だとか。つまり、昔の観光地ということか。



★青森県大間町の媽祖信仰

某ゲームのせいで媽祖は船員の疲労を回復してくれる神様だと思ってたけど違ってた(笑
船乗りたちの守り神、伝承の中では名家の出ということになっているが元は10世紀頃に生きた漁村の巫女だったという。現実の人間まで分かっていて神格化されているのは知らなかった。

媽祖はおっかさん、という意味だが、媽祖と呼べば身支度を整えず大急ぎで駆けつけてくれて、天后と尊称で呼べば身支度を整えてから来てくれるという伝承は面白い。信仰が広まったのはそういう民衆に親しみやすい女神様だったからなのだろう。



★シナイ山とガンガー河が呼びさますもの

シナイはユダヤ教、ガンガーはヒンズー教を指しているようだが、後半で唐突にガンジス川の話が出てきて、繋がりの必然性は見えない。死後の世界観に対する思想の違いを示すなら、べつにほかの宗教でもよかった気がするが…。とりあえず前半のユダヤ教(旧約聖書)の話で一考の必要があるなと思ったのが、ユダヤの神は復讐の神でもあるということ。「汝殺すなかれ」といいながら異教徒を殺させる神は確かに、「出エジプトの神」であるとともに「復讐する神」だと思う。

しかし新約聖書に至り、その神は「愛の神」「癒しの神」に変わっているので、911後のアメリカのとったテロとの戦いという名の復讐劇を神のせいにするのは、いささか筋違いのよう思われる。



★聖者伝としてのムハンマド伝

ムハンマドを歴史上の人物として見るという視点。近年、ムハンマドが実在の人物かどうかの議論が起きていると書かれていて「ん?」と思ったので末尾の参考を見るとIbn Warraq(イブン・ワラック)だったので合点がいった。今もまだモメてるんだろうか。

キリスト教のほうも、イエスが結婚してたかどうかで論争になっていたりするが…まあ… なんていうか、仏教徒からするとよくわからん感覚である。こっちは「リアルに考えるとお釈迦様は妻も息子も棄てたダメ人間ってことになってるけど、だから何スか(ほじほじ」だからなあ(笑)

教祖や神格化された人間に信じがたい伝記が作られるのは万国共通だが、逆に、そもそもお釈迦様はなんであんな人間としてダメな状態で記録に残されたんだろう、と、むしろそっちが気になった。



★パルミラの墓に見るランプと死者について

パルミラで死者の埋葬に重要だったとされるランプについての考察。墓に埋葬されるランプの多くは使用済みで、基本的に焼き物だというのだが、イスタンブールの博物館で見たランプにはブロンズのものも混じっていた…んー… ?? 墓の展示の次にあったから副葬品だと思ってたけど、このランプは副葬品じゃないものも混じってるってことなのだろうか…それともこれは例外なのか…。

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★アブ・シンベル神殿の彫刻師ピイアイの碑文について

アブ・シンベル神殿の造営者に関する少ない情報の一つ、彫刻師ピイアイという人物に関する考察。アブ・シンベル神殿の大ホール北面コーナー付近にその名前が刻まれているという。多くの論では美術作品への署名の例として紹介しているようだ。

彫刻師という職業の細分化が興味深い。ピイアイの名乗っている「gunwty」は壁面の浮き彫りなど柔らかい石や木などを彫刻する人、他に硬い石を彫刻する「hmwty」、"生命を吹き込むもの" と訳せる肩書きを名乗る肖像彫刻師もいたらしい。浮き彫り専門職の肩書きもあったという。神殿造営に関わる専門職の職人の一端が見えるようだ。


★執金剛神(像)の起源

出家するお釈迦様に付き従う、ヴァジュラを手にした執金剛神という従者の姿がヘラクレスをモデルにして作られているという話。棍棒の持ち方がヘラクレスらしい。ちょうどインド神話とギリシャ神話の交わるところを調べていたのでタイムリー。ちなみに執金剛神というのは帝釈天リストラ後に従者に入ってきたもので、同じようにクヴェーラもヘルメスに置き換えられているらしい。

ただ、著者がデュメジル的な意味で(神話上の機能として)両者を比しているのか、全く同一のものと扱っているのか、図像表現上の類似だけで言っているのかはこれだけだとよく分からなかった。


★遊牧民の毛織物

遊牧民の織物は横木を使ってないので形が歪んでいて不揃い、と書かれているのを見て、ああなるほど固定の大型機織機なんてないもんな、と納得。大量の水を使う染色も行えないため、色数が少なく、自然着色の織物になるという。持ち運びできる量に限りがあるので大量生産はせず、日常生活で使えるものに限られるという。実用的な美しさということか。

織物をするのが日常の楽しみだというのはいいな。


★王からの手紙

古代エジプトの王から官僚にあてた手紙について。原本が残っているわけではなく、もらった手紙をその官僚が墓に写して「陛下にこんなのもらった^^」と自慢している内容からの判別。
第五王朝のイセシ王の例が出ていたが、王が自分を現人神と扱っている形跡はないという。またわりと細かく部下をねぎらっている。これは日本の戦国時代に、武将が家臣に送っていた書状とよく似た雰囲気かなと思う。

で気になったのが末尾の註にある「読み書きができたとされる王はイセシと第18王朝のアメンヘテプ2世しか知られていない」とあるところ。しかもそれらいずれもフィクションと見ている研究者もいるという。ここが納得いかない。証拠が残っていないだけじゃなかろうか。さすがに全ての読み書きを書記や完了に頼るのは無理だろう。家族間での個人的な手紙のやり取りも出来なくなってしまう。儀礼的な文章は難しかったろうと思うが、日常筆記は出来たはず。

ここは"あとで調べる"リスト行きかな…。


★タッシリに岩壁画を訪ねて

論文ではなくタッシリ・ナジェールを訪ねた旅行記みたいなものだけど、これが一番面白かったな。背広で岩壁登るのは無茶だ(笑) サハラの真ん中にあり、アフリカの伝統的交易路の上に位置する遺跡で、紀元前6000年頃から紀元後にかけて、何千年にもわたり描き続けられてきた素朴な岩絵。これは参考書をちゃんと読もうと思った。


★シャンポリオンとヌビア文明

シャンポリオンがヌビアを旅したさいの記録について。ヒエログリフの解読はまだ序盤なので、全ての碑文が解読されているわけではなくギリシャ語など別言語資料に頼っていた時代。ヌビアのカラブシャ神殿における主神マルリ(マンドゥリス=アパデマク神のこと)が、イシスとホルスの息子として描かれている、とのシャンポリオンの記述が出てくる。カラブシャ神殿の碑文ではそうなってるのか? どうやって彼はそれを知ったのか? と言う疑問。

また紀元後数世紀頃にはマンドゥリスがローマ軍兵士の信仰対象だったという話は初めて知った。とするとギリシャ語資料に記述があったりするのだろうか。


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