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zoom RSS オリエント宗教からイスラームへ とあるパネルディスカッションに行って来た

<<   作成日時 : 2014/11/27 00:10   >>

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行ったのはこれ
http://icrhs.tsukuba.ac.jp/archives/1468/

朝日カルチャーセンターで講義されている↓これと内容はほぼ同じみたいだった。
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=175757&userflg=0

講演者の講義のあと、各種専門家のコメンテーターがコメント&質問をするという形式。
コメンテーターは筑波大学の方が古代メソポタミア、北海道大学の方がイスラーム学、東北大学の方がイランの考古学。

客層は専門家が8割でした。ていうか「あ、XX先生だ…」って私でも分かるよく見る方がいたりしてガクブルしながら、端っこにこっそり隠れて聞いてきました。だ、だって参加自由だって書いてあったし! ちな残り2割の一般人? のうちご年配の方々は、後半めっちゃ寝てらっしゃいました。イビキかいてるおじさんを睨みつけてる右前のおねーさん超怖かった。アラビア語の謎の巻物がかばんの中に入ってる人も超怖かった。みんな「xx大学xx研究室のxx専攻です」とか肩書きあるのに、ヴォクは何もないただの会社員です…。

そんな感じでスタート。

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<<講義内容の概要>>

旧約聖書・新約聖書をまとめて「聖書ストーリー」と呼び、もともと国家・民族によって各種神話の息づいていた古代オリエント世界にいかにして聖書のストーリーが広がっていったかという内容。

講演者の主張によれば、聖書ストーリーがケルトや北欧神話など旧来の神話を単純に塗り替えていくだけだった「西方」と異なり、「東方」古代オリエントは神話の受容までに様々な過程を辿っていた。

・初期にキリスト教を受けいれたアルメニア教会は、オリジナルの聖人などを付け足してストーリーを改変した
・マニ教
・マルキオン主義
・マンダ教

etc...

「旧約」+「新約」という組み合わせ自体も拒否されるケースが多く、ユダヤ民族の神話的な側面の強い「旧約」のみを否定したパターン、旧約を書き換えてしまったパターンなどがあり、最終的に東方では、最終的に「旧約」+「新約」+「コーラン(クルアーン)」のイスラム教が多数を占めていくことになる。

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<<コメンテーター>>
メモした範囲だけ。

・古代メソポタミアの先生

聖書ストーリーの受容に関して、古代オリエント世界では一般人は神話の詳しいストーリーは知らず、限られた知識層のみで共有されるのが一般的。布教を行う「教団」というものの存在は確認できない。また伝道・改宗を促すプロセスも存在しない。布教を行う教団の存在はどこから出てきたのか。

→講演者回答では、マニ教については教団があり、布教を行っていたとのこと。

古代オリエント世界では「国教」は存在せず、国で統一された教義もない。
ササン朝のゾロアスターも国教だが、統一されたイデオロギーはない。

→ローマのイメージで国教と呼ばれているだけで、それ以前だと少し意味合いの違う「国教」になるとのこと


・イラン考古学の先生

インド-イランで共通した神話が存在した証拠が見られない、何をもってそう判断するのか。
考古学証拠からは分からない。神官団の存在についての証拠もない。

→講演者はジョルジュ・ディメジルの名を挙げていた。
 神官団についてはヘロドトスの記載したペルシア戦争の話やペルセポリスで見つかった碑文などを挙げていた。

このへん激論。考古学資料と文献解釈の食い違いは一致を見ていないようだ。


・イスラーム学の先生

イスラーム学は手をつけていないので話がいまいち分からずorz ただ思ったのは、イスラームの受け入れは地域ごとにプロセスが違っていたと思う。「東方世界」として全部ひっくるめてしまうと、何かいろいろ大事なものを落としそうな気がするな。

さらっと仰っていた「アラビア語の文献ではピラミッドは2万年前に作られたとか書いてありますよ。」が気になった。アトランティスどーのこーのの犯人はそいつか・・・・・!(笑)

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<<俺ツッコミ>>

まずレジュメの一枚目にあった「古代オリエント研究とイスラーム研究の断絶」という部分が私には納得できなかった。

古代オリエントの研究が楔形文字に依存するためアケメネス朝で終了してしまい、古代エジプトがヒエログリフ資料に依存するのでアレキサンダー東征で終わる、と書かれている。そしてその後、アラビア語によるイスラーム研究になるので、数百年のブランクがある、と。

 でもそれ"文献"として研究する場合だけの制約だよね?

単に、文章は常に作られ続けていたが、使用言語が変わったために研究者には読めない資料が増えるってだけじゃないのかと。それにある時代でいきなり使用言語が変わるなんてことはない。移行期は必ずある。
少なくともエジプトの場合、ヒエログリフ文献はプトレマイオス朝時代もまだ作られているので、アレキサンダー東征で資料が途切れるとかない。しかも古代エジプト語からギリシャ語が公用語に変わってギリシャ語文章が徐々に増えていき、ローマ属州後はラテン語資料になるわけで、ギリシャ・ローマ史専門家によって研究されているので、そこの部分の専門家呼んで来れば時代はスムーズに繋がる。どこが断絶するのか良く分からない。



また、東方と西方で聖書ストーリーの受容経緯が異なるという意見に対しても賛同しかねた。

西方と言われてる大半の地域は、長らくローマ帝国の支配下にあり、ローマ文化圏だった。もともと「一つの帝国」として、同じ文化を許容する下地が出来てた地域はトップダウンで教義を押し付けることも可能だっただけで、ローマ帝国が支配したところにしか聖書ストーリーは伝播していない。(スカンジナヴィアの端っこ、アイルランド等) アイルランドでは、聖書のストーリーを地元民に受容させるために三位一体をクローバーの葉に例えたり、大地母神である女神ダヌと、マリアの母、聖アンナを同一視させたりしている。これは講演者の言うアルメニアでの旧来の信仰と聖書ストーリーの合体パターンと同じだと思う。

つまり、ヨーロッパでの布教を単純に「西方」とひとくくりにするのが不適切なのだ。正確な表現するなら「旧ローマ帝国領」だし、もっというならそれは東西の違いではなく、過去に一つの帝国になったことがあるかどうかだけだ。

そして、ヨーロッパには文字で記録する習慣があまりなかったことも考慮されていないと思った。伝説は口伝で伝えるのが基本の文化圏では、マニ教の場合のように新たなストーリーが作られていたとしても形として残らない。「新たな文書を作り出した東方に対し、与えられた旧約・新約のストーリーを受容しただけの西方」というのは、形として残っていないものを無視した不当な評価ではないだろうか。

注意深く探していけば、西方でも東方と同じプロセスを辿った痕跡は見つけられると思う。
数少ない残されている文字記録、たとえば北欧神話の原典「エッダ」の中に残るキリストを思わせる記述などは、聖書の物語が現地の物語とミックスされた新たな神話が作られていた可能性を十分に示唆していると思う。



次に、イスラームの教義が12-13世紀に固まるという講演者の主張だが、千年たって教義が落ち着いたとかではなく、この時期に十字軍遠征があったことを指摘するべきではなかろうか。外部からの脅威に晒されて、「内部分裂してる場合じゃねぇ!」と団結しはじめた結果、教義も一つに纏まっていったのだと私は思う。
"1000年絶えることのなかった東方の宗教的想像力もさすがに枯渇してきたのか"なんていわれると、その解釈は無いだろうーってツッコミたくもなる。枯渇したと主張するならその原因を考えるのが学者の仕事だし。



最後に、そもそもの根本的な話として、この会で「西方」「東方」と分けている根拠が分からなかった。
現在のキリスト教の区分では、西方教会・東方教会となっている。が、文化圏でいうならば、エジプト・シリア・アナトリア半島あたりは西方のはすだ。先に書いたように、ローマ領内はトップダウンで布教出来たから。講演者が最初のほうのパネルで西方と東方の布教言語の違いを述べていたが、言語で分けるなら尚更、ギリシャ語orラテン語で布教されたローマ領内と、それ以外とで分けたほうが良かったと思う。お陰でエジプトの浮きっぷりが悲しかった(笑)

東方教会に入れられてはいるが、エジプトから出てくる宗教文書はかなりの比率でギリシャ語がまじっている。初期キリスト教徒が使ったコプト語(現在も典礼に使われている)は古代エジプト語とギリシャ語のハイブリッドになっている。「古代オリエント」の一部であると同時に、西方世界の「周辺」でもある場所だと思う。

古代オリエントといわずに「地中海文明」としてとらえれば、エジプトもシリアも、ローマやギリシャと同じ地中海文明圏に入る。講義内容からするに、地中海文明圏とイスラーム文化圏(内陸部)との地理的な差異で分けるほうが近いと思う。

ちなみに邦語で出ている「グノーシス」という講談社メチエの本では、「シリア・エジプト型グノーシス」と「イラン型グノーシス」という表現を用いていた。これがまさに私の認識している(納得のできる)分け方で、地中海文明圏とそれ以外、というのに近い。グノーシス主義の中に包括されている各派は有象無象で、"グノーシス"で一括りにしづらい概念なんじゃないかと思うんだ。今回の趣旨的に、エジプト・シリアは外したほうがまだスッキリしたのではないだろうか…。


というわけで、始まったときは分かってたつもりのこの会の趣旨が、後半になるにつれて「???」な状態に。
そもそもこれって開催する意味あったのか & やりたいことに対して妥当な参加者が揃っていたのか。


途中で発表されてた学生さんが「自分は区別なく話をしてるから断絶があるとは思っていなかった」と言っていたのが正解で、そもそも西洋史と東洋史の断絶なんてないんじゃ…?

現在の日本の学会区分として、東洋史・西洋史に分かれるというのはあるかもしれない。
イスラーム学が東洋史で、メソポタミアやエジプトが西洋史として扱われている都合上、予算や会議が別別になっているのかもしれない。でも学会交流が禁止されてるわけでもなし、学問分野としては別に分かれる必要ないんじゃないかな。必要があれば専門外の本も読まにゃならんし、別部署の人にも話し聞きにいくよなァ。

ざっくりと、きょうび西洋史、東洋史とか分けるのがナンセンスなんじゃないかと言ってみる。
で、既存の枠組みが邪魔だからって枠を越えようとするまでは分かるけど、新たな枠組みを作っちゃ意味ないだろと。

もし境界を本当に打開するんだったら、今回のパネルディスカッションは、ヨーロッパ史の人を一人くらい入れておけばよかったと思う。そしたら、上記のようなツッコミはたぶんその人がサクっとやってくれた(笑)




途中にも書きましたが、本当に断絶が深刻なのは 文献研究者と考古学(発掘)研究者の間 だと思います。全然話噛み合ってねぇっていうか。文献資料と考古学証拠が食い違うケースは世界中に多々在り、なかなか溝が埋まってない印象です。ちょうど古代北欧ジャンルで発掘やってる先生と文献学者の激しいバトルをつい最近見たばっかりなんで、「あーここでもかw」と思いながら聞いてました。

あと、2-3世紀のエジプトには伝統的なヘルメスの教義があった っていうパネル3枚目の記述は、あとで司会者の先生がきっとツッコみいれてくれたと信じている。グノーシス関連ならヘルメス・トリスメギストスのことじゃないかと思うんだけど、全く伝統じゃないし、主神でもないし、キュベレとかと並べて挙げるものじゃないですよねソレ。

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