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zoom RSS ヒッタイト帝国滅亡と「鉄の解放」、その後の鉄の伝播速度についての覚え書き

<<   作成日時 : 2014/10/19 00:10   >>

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いろいろ考えてたけど資料が足りなくて微妙にまとまりつかず、とはいえ書いておかないと忘れそうなのでとりあえず覚え書きレベル。


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前提→

現時点の世界史の周知の事実として、製鉄技術はただ一箇所、ヒッタイト帝国を起源として、そこから全世界に伝播していったものとされている。

(ただし実際に製鉄技術を発明したのはヒッタイト人ではなく、ヒッタイトが移住してきて帝国を築く前からそこに住んでいた先ヒッタイト(プロト・ヒッタイト)の人々で、ヒッタイト人は製鉄技術の囲い込みを行い、流通を制御しただけと考えられている。

[>そのへんの研究については、以前のエントリを参照。)


ヒッタイト帝国はかたくなに製鉄技術を他国に漏らすまいとしていたが、紀元前1200年ごろ、海の民と呼ばれる民族(実際には気候変動などにより居住地を離れざるを得なかった難民集団だったと考えられている)によって崩壊し、それと同時に製鉄技術が「解放」され、世界中に広まっていくことになった。


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以上が前提だが、「優れた技術が一気に世界へ!」とはなっていないのが現状だ。

技術の広まる速度には大きなムラがあり、ヒッタイト帝国中心地・鉄の生産地であった「赤い川」地域からの距離と、技術定着の時期は比例しない。距離的には近いのに鉄器生産が行われていない地域、遠いのに早くから生産されていた地域があり、しかもこれは原料となる鉄鉱石の産出地が近くにあるかどうかの条件とも一致しない。

そこに隠された意味を知りたい。

とかマジメに言ってるが、いつものパターンでキッカケはエジプトである。(笑)


ヒッタイト滅亡(起源前1200年)後もエジプトでは鉄器の製造が行われず、かたくなに青銅器時代を続けていた。
エジプト本では「エジプトは伝統を重んじる保守的な社会だったので、新しい技術の導入には消極的だった」などと説明されていることもあるが、んなわけねーだろと。ガラス製造技術はめっちゃスムーズに導入されてますが(笑) 自国で試行錯誤せず、さくっと戦争奴隷つれてきて他国から技術導入してますよ…。

当時のファラオがたまたま特別に革新的だったというのはあるかもしれないけど、だからってギリシャ人を居住させるために作った都市ナウクラティスが鉄器生産の最初の証拠ってのは遅すぎるだろと。ツタンカーメン王の次代に、既にヒッタイトから鉄器を輸入してるわけですよ。副葬品としても出ている。そんなに欲しかったのなら、なんでヒッタイト滅亡後に流出した技術者ごと囲い込まないの?

そう思ったとき、古代エジプト人は鉄器をオシャレ装備や貴重品としては欲しがってたけど、実用的な意味で心底欲しがってたわけではないんだなと解釈したのですよ。鉄器の価値はそんなもんだった。つまり、既に優れた青銅器を生産できていた地域では、鉄器の地位はそんなに高くなかった。だから、敢えて鉄器導入する理由がなかったんじゃないのかな。



まず最初に言っておきたいこと。
鉄器が青銅器に勝るという固定観念は捨てること。

初期の鉄器の強度は、鍛錬技術が足りなかったこともあって青銅器に劣っていた。錬度の高い優れた鉄器を生み出せた地域はごく限られていたが、錬度が低く不純物の多かった鉄器は朽ちるのが早かったため残存数が非常に少ない。

また、もう一つよく誤解されていることだが、鉄技術の誕生と、鉄の融解温度を越える炉の発明の間に関連はない。

人類が鉄の融解温度を越える炉を手にしたのは今から五百年ほど前に過ぎず、それ以前の鉄器はすべて、鉄を融解させることなく鍛錬している。([>このへんは、以前調べたエントリに多少詳しく書いた。


というわけで、鉄器が世界に広まっていった理由は、「青銅器に比べ強度に優れていたから」なんていう単純な話ではありえないんだ。世界史の教科書なんかにも書かれているけど、そんな理由じゃ説明できんよ。



なお、鉄器生産技術の伝播と地域への定着について、調べられた限りの年代は以下の通り。
ここで挙げている年代は、その地域の遺跡で鉄滓(てっさい=製鉄時に出るカス)が見つかっている年代を指す。


ヒッタイト帝国崩壊 紀元前1200年頃 <]スタート

レヴァント、キプロス 紀元前12〜10世紀

パレスティナ 紀元前1000年頃

インド 紀元前1100年頃

中国 河南省 紀元前800年頃(?)

アッシリア 紀元前700年後半

エジプト 紀元前500年頃 ナウクラティス

日本 紀元後 400年〜500年 (伝播自体は紀元前2-300年頃 弥生時代



年代順に並べると、起源地からの距離が定着までの時間と比例しないことが良く分かると思う。
そして、エジプトだけでなくメソポタミア地域でも鉄器生産が遅いことが分かるはずだ。青銅器の生産もやってたはずのインドで早いのは、鉄器生産の証拠のある場所がインド北側に寄っていることから、インド・アーリア人と言われる人々が北西から北インドに流入していったときに技術を持ち込んでいるためと推測される。


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結論→

というわけで、論拠不十分で脇が甘いのだが、現時点の私の結論では、鉄器が青銅器を凌駕して全世界に広まっていったのは、銅より産地が多く原料が容易に手に入りやすかったから というものを仮定している。

これは以下のように東洋書林の「古代オリエント事典」にも触れられているので、決して私だけの奇抜な発想ではない。

鉄の産地は銅の産地に比べて数が多く、行くのも容易である。鉄の採用は、技術的要因と同様、経費と入手のしやすさの面に多くを負っていたのかもしれない。


考古学系の本だけだとイマイチ決定的要素が見えてこないので、金属関係の資料を探して来るかなー(´・ω・`)

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