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zoom RSS 最後の「ファラオ」、ローマ皇帝ディオクレティアヌス

<<   作成日時 : 2014/09/20 00:10   >>

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知られているとおり、古代エジプトの独立は紀元30年、クレオパトラ7世の治世をもって終了する。以降はローマに吸収され、ローマの属州として余命を保つことになる。

しかしエジプトはローマに吸収されてもなお長い間、独自の文化を保ち続けていた。その一つが、ローマ皇帝を「ファラオ」として扱い、即位名をつけ、伝統的な芸術様式に則ってファラオの姿で皇帝を描くという一連の儀式だった。

その「ファラオ」として描かれた最後のローマ皇帝が、ディオクレティアヌス。

最後の「エジプト人ファラオ」はネクタネボ2世、最後の「独立国家エジプトのファラオ」はクレオパトラ7世。しかしてもう一人、「最後」の「ファラオとして扱われた人物」、真の最後のファラオが彼なのである。

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だが、どうしてこの人が最後だったのかがよくわからない。
ディオクレティアヌスがローマ皇帝になったのは284年。退位が303年。死去が313年。
ローマが東西分裂するのは395年。ディオクレティアヌスの後に即位した皇帝たちは、なんでファラオとして扱われなかったんだろう?

ローマ史あんま詳しくないので資料開いて調べてみたが、特にディオクレティアヌスがエジプトに縁が深いというわけではなかった。というかむしろ、キリスト教徒弾圧のためエジプト人を何千人も虐殺してる…。(※3世紀頃のエジプトはキリスト教徒が多かった)

エジプトに来ない皇帝も多かった中で、珍しく直接エジプトを訪れた皇帝だったのは確かだが、ディオクレティアヌス以前のエジプトに来なかった皇帝たちもファラオ扱いされているところからして関係なさそうだ。

次の代の皇帝からキリスト教を国教と認めるようになっていくのが関係しているのかとも考えてみたが、次の代のコンスタンティヌスは即位直後からキリスト教に傾倒していたわけでもないので、ファラオ扱いにならなかった理由は宗教ではなさそうだ。

ディオクレティアヌスの代に行われたエジプトの政治的改革が関わっているとすると、当のディオクレティアヌス自身がファラオ扱いな理由がわからなくなる。

と、幾つか可能性を考えてみたが、どれもしっくり来ない。

ひとつありそうなのは、エジプトとローマの心理的な距離が遠くなって、エジプト人たちが、もはやローマ皇帝を「ファラオ」とは認めなくなったということか。あるいは、細々と続けられてきた古代エジプト王国時代からの伝統が途切れたのが、ちょうどこのへんだったのかもしれない。



…なんとなく、 特に理由はないけどもう飽きたからやめる 的にうっちゃったっていうオチもありえる気がするけど、まさかそんなアレはないよねハハハ。

ちなみに古代エジプトの年代の数え方は「xx王の治世xx年目」なので、新しいファラオが「即位」しなくなってからは延々ディオクレティアヌスの治世で年を数え続けて、知られている最も最近の日付だと「ディオクレティアヌスの治世1055年目」なんていう表記があるそうな。ディオクレティアヌスも、まさか死んでから1000年以上も名前使われることになるとは思ってもみなかっただろうよ。

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