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zoom RSS 古代と中世の境界/アンリ・ピレンヌ「ヨーロッパ世界の誕生」

<<   作成日時 : 2014/08/22 00:10   >>

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歴史の本を読んでいると、色んなところで言及される「ピレンヌ・テーゼ」。
「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」という一言で知られ、イスラムの隆盛と進出がヨーロッパにおける「古代と中世の境目」を成している、という思想である。

今まで、上記概要しか知らず、分かったふりで読み流していたのだが、これじゃあかんやん原著読も。と一念発起して入手してきた。とりあえず一周してみたのだが、なかなか面白かったです。

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難しいところはほとんどなく、一つの大局に向けて丁寧に証拠を積み上げていく感じなので、置いていかれる感もない。古典的名著とされるだけのことはある。

もっと早く読めばよかったと思う反面、様々な歴史出来事に言及しつつ論説が展開されているため、たぶんこれ五年前の自分だと半分以上意味わからんで終わっただろうなあ…と思う。メインで扱われる時代は7世紀中盤。しかし、その前後の地中海世界の地理と情勢をうっすらとでも理解していないと、理解が追いつかないかもしれない。

まあでも大雑把なに理解できればいけると思う。私も細かいところは「この人誰だっけ」とか結構あったし(おい)
そんなこんなで原著から引っ張ってきた内容まとめ。



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この本は、大きく前半と後半に別れて話が進んでいく。

まず、前半部分。
ヨーロッパ史における「古代」と「中世」の境目は、従来説ではローマ終焉の時期に置かれることが多かった。4世紀、東からフン族がやってきたことに伴い、玉突き式にゲルマン民族が西へと移動を開始する。俗に言う「ゲルマン民族の大移動」である。これによってローマ領内も頻繁に軍事的危機に陥ることとなる。

しかし、この一世紀に及ぶ大移動の前後において、ローマ領内の人々の暮らしは、あまり変わっていない。蛮族とされたゲルマン人も、フン族やその傘下に入った諸民族も、積極的にローマに同化しようとして、やがては飲み込まれていってしまう。実は民族大移動はローマ滅亡の決定打ではなかった。ていうか言われているほど歴史的にインパクトの大きい出来事ではないんじゃないのか。


それに対し、イスラム化された地域の生活ががらりと変わり、イスラムに取り込まれた人々がイスラム化していった過程を語るのが後半。

イスラムの進出は、東西分裂後も生き残っていた東ローマの首都、コンスタンティノープルの陥落を頂点として語られることが多いが、それはもはや「結末」部分であって、もっと重要な部分はその前に来ている。人々の暮らし、言語、あらゆるものが変化していく。それは時代の転換期と呼ぶに相応しい。食卓からは香辛料が消え、言葉からはラテン語が、海岸の都市は廃れて文化の中心地は内陸の川沿いに移動する。ここで初めてパリが台頭してくるのである。


そして、ピレンヌ・テーゼを表す代表的に言葉、「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」の意味。


シャルルマーニュはいわずと知れたカロリング朝の大王である。現在のフランスあたりを中心とする領土もっていたが、当時はまだフランスという国はない。カロリング朝、そしてその前身となるメロヴィング朝は、ともにローマにとっては蛮族、侵入者であったフランク人が定着して作った王国だった。だが、シャルルマーニュはキリスト教に深く帰依し、教会の庇護者となり、イベリア半島まで進出してきていたムスリムと戦った。

かつてローマの敵だった蛮族がローマ化し、ローマに代わって教会の後見人となった。これをピレンヌは「イスラムによってヨーロッパの均衡が崩壊したことの総決算」だったと述べている。そして「それ故、マホメットなくしてはカール大帝の出現は考えられない」と結論づけた。マホメットはイスラム教の開祖、カール大帝とはシャルルマーニュのこと(カールのフランス語読みがシャルル、マーニュは大王を意味する)である。


民族大移動やローマの分裂は世界の本質を変えはしなかったが、イスラム圏の拡大は、ヨーロッパ世界を根源から変えた。この根拠としてピレンヌが挙げているものの中で面白かったのは、香辛料の交易とパピルスの有無。6世紀以前は、西ヨーロッパのイベリア半島やブリテン島においても、香辛料やパピルスが輸入され、使われていた形成があるという。パピルスの生産地はエジプトだから、そこからの交易路が存在したことを証明する。輸送手段は海路である。

ところが、北アフリカがイスラム化し、シチリア半島まで進出し、ティレニア海がもはや安全な海ではなくなると、香辛料やパピルスの輸入の証拠が消えていく。とくにパピルスは、それがないと公式文書も作れないわけで、輸入の途絶えた西ヨーロッパは大いに困ったと思われる。代替手段としてそれまではあまり使われていなかった羊皮紙が盛んに生産されるようになっていくという。また香辛料は、輸入が途絶えたことによって高騰し、輸入手段や武装した商船団を持っていた海洋交易国家が栄える道を作っていくことになる。

地中海を取り囲む陸地の全てがローマ帝国の傘下にあり、地中海全域が「ローマの海」だった時代とは一変してしまったのだ。


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ヨーロッパの地図がわからん人にはいまいちピンとこないと思うので、ここでピレンヌのいう「東方世界」と「西方世界」、地中海の地理について、ここで概略を図示。本の巻末についてた図にちょこっと文字とか入れてみた。

画像


この時代、地中海の西半分はイスラム圏になっていて、安全な通行は不可能。かろうじて東側の一部だけがビザンツ(東ローマ)の海として残る。海路から見た西ヨーロッパは孤立してしまっている。


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ゲルマン民族をはじめとする侵入者たちはローマに吸収されていったが、イスラムの波に飲まれたかつてのローマ市民たちは、たとえばエジプトでさえも、逆に新たなイスラムの波に取り込まれて非ローマ化していった。

それは独自の信仰を持つかどうかの差だとピレンヌは言うが、そこだけはちょっと違うのかなと思った。イスラム教は、連綿と続くオリエント宗教の歴史の上に発生している。イスラムの発祥地はメソポタミアとエジプトの間にあり、かつてオリエント文明が栄えた地域と接続している。他者を自らに取り込む力は、いわば「文明の底力」ではないだろうか。衰退しつつあったローマ・スタンダードな文明に、イスラムの新しい文明の勢いが勝ったんじゃないかという気がする。


いずれにしても、ピレンヌ・テーゼにおけるヨーロッパ中世の始まりは紀元後650年から750年の転換期を経た8世紀半ばに置かれている。それは確かに世界の転換を意味する時代で、区切りとしては納得のできる時代だと思う。


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本の冒頭で書かれていることだが、ピレンヌは、この原稿を書き上げたあと、推敲する間もなく亡くなっているらしい。そのため、著者本人は、この本がのちに巻き起こすことになる衝撃と論争を知らず、他の学者たちと議論することもなかった。
もし存命のうちに出版されていて、批判や異論と戦ったらどうなっていたんだろうなあ…と、ちょっと惜しい気がする。

ピレンヌに影響を受けて書かれた有名どころの論文では、スウェーデンの学者ステューレ・ボリーンによる「ムハンマド、カール大帝、リューリク」というものがある。リューリクはロシアの前身であるルーシの大公だった人物。まあこの論文がピレンヌに異論を唱えてたのが、原著読まな意味わからんと思った発端だったんですけども。

他にも色んなところで言及されることの多い理論なので、西洋史やる人は是非読んでおくといいと思うよ!

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