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zoom RSS 単性論の理解とコプト教/教会史に書かれていないもの

<<   作成日時 : 2014/06/25 00:10   >>

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過去に似たような記事を書いたような気もするが、そこからさらに一歩踏み込んで、という話。
まず最初に言っておきたいこと。この記事で伝えたいのは以下の二点である。

 ・現代において表向きに単純化され公表されている「経緯」は、「歴史」ではない。
 ・西方教会と東方教会の見解は互いに食い違うことがある。


日本における「キリスト教概要書」は、基本的にカトリック中心の、西方教会の資料を基にした内容となっている。 まずここからスタートしよう。
確かに東方教会とか、正教会とかいうものは日本では縁が薄い。だが、分裂したものの分裂の原因を一方の視点からしか見ていないとか、一方の主張しか聞いていないとかいうのは、そもそも視野がせまいというか、はっきり言ってしまえば「間違ってるんだけどそれに気がついていない」状態に陥りやすい。

単純に言うならば、こういうことである。

 ・西方教会側の資料に書かれている内容は東方教会側の主張する事実とは異なることがある。
 ・お互い都合の悪いことは隠している。(笑)


分りやすいところで一つ例を挙げる。自分にある程度馴染みのあるコプト教でいこう。
日本で出版されているキリスト教概要書ではコプト教は「単性論」を信じていて、コプトやアルメニア、エチオピア、シリアなどの単性論教会はカルケドン公会議において異端とされたことによって分離した、となっている。
しかしコプト教徒は自分たちの教義を単性論とは思っていないし、調べてみると、事実、違うようである。

また、コプトカルケドン公会議の実態は、どこの主教座がいちばんエライかというメンツをかけた権力争いの側面もあり、単純に教義が原因ではないのである。

しかしどうやらそれは、「キリスト教の概要書」には出てこない話のようで、意外と知らない、というかそういう話をしたら怒られたことすらある(笑) いわゆる「概要書」をあまり読まないので、当時は逆にその人の言っていることがわからんかったのだがね…。

一般の人がよく読んでそうな(友達に借りた)キリスト教概要本にどう書かれているか。
「なんでもわかるキリスト教大辞典」(朝日文庫)の「教会の分け方いろいろ」というところから、上記のような誤解が記載されている部分を出してこよう。

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「正統教会と異端教会(四世紀以降)」

西暦313年のローマ帝国によるキリスト教公認後、教会の勢力が拡大するにつれて、教義にばらつきが出てきた。各教会の代表者たちは325年以降、公会議を開催して教義の成文化・体系化を図るようになる。こうした公会議で、多数派から、正統(正しい教え)の枠に入らないと判断されたのが異端である。初期に異端と断じられた代表的な教義は二つあり、ひとは、三位一体を否定するもの。もうひとつは、堕落した聖職者が授けたサクラメントは有効ではないとするものである。

<中略>

現存するコプト正教会、アルメニア使徒教会、ヤコブ派教会(シリア正教会)、エチオピア正教会などは、キリスト単性論を取るため、キリスト両性論を正統とする側から見ると異端である。

<後略>

* 三位一体と単性論
三位一体とは、唯一の神が「父」と「子」と「聖霊」の三つの位格をもち、それぞれが同格に存在するとする教義。このうち、「子」の位格にあたるのがイエス・キリストである。イエスは人間と同じ肉体をもちながら神である、すなわち「人性」と「神性」の二性をもつとする考え方を「両性論」という。これに対し、イエスの「神性」のみを強調する説を「単性論」という。



たったこれだけだ。

もっともらしい書き方であり、大筋では正しいのだが、先に述べたようにコプトは実は単性論ではない。末尾の注釈にある「単性論」の説明内、『イエスの「神性」のみを強調する説を「単性論」という』、ココがポイントだ。単性論とは、イエスの人性を否定し、神性のみを認めるものなので、これは単性論の説明ではない。

カルケドン公会議当時のアレキサンドリア主教は「御子のうちには神性と人性がある」と認めていたが、「どちらかというと神性を強調する」立場を取った。強調したのであって片方を否定はしていないのだから"単性論"ではないのだが、そうすると「コプトは単性論だ」と言っている西方教会の資料と食い違うので、単性論の定義を変えてしまったのだろう。


この部分について「ギリシャ正教 東方の智」より引用してみよう。

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だが、本格的なキリスト論論争は、アンティオケイアを中心とする神学学派(アンティオケイア学派)とアレキサンドレイアを本拠地とする神学学派(アレクサンドレイア派)の間で展開した。両派ともキリストに基づく救いの確信を強調し、神のロゴス(御子)は、完全なる人間本性と一つになったという考えを前提にしている点では共通である。両派とも、神的ロゴスがマリアから生まれた人間イエスのうちに宿ったこと、キリストのうちに二つの本性、神性と人性とが一致して共通の意志の働きをなすと考えた。だが、アンティオキア学派は御子の人性を、またアレクサンドレイア学派はその神性を重視する傾向にある。

そこで、アレクサンドレイア総主教キュリロス(?〜444年)はキリストの位格における本性的一致、簡単にいえば、二つの完全なる本性は一つになり、人性は神性に満たされて神化されたと唱え出した。この「二つの本性、しかし一つになった本性」という考え方は、キュリロスがアナスタシオスのものと信じて誤ってアポリナリオスの「ミュア・ヒュシス(唯一の本性)」という定句から引用したものである。いわゆる「単性論」への非難は、まさにこの「唯一の本性」という定句のせいであったが、キュリロスの場合は文脈的、内容的には単性論でないにしても、表現としては誤解を招くものであることは確かであった。


そもそものアレクサンドリア学派の思想は、表現としては誤解をまねくものではあったが、前後をちゃんと読めば、「二つの本性」という言葉が出てくるので両性を認めていることが理解できる。

単性論といわれるものの出現は、それからさらに時を経たあとのことである。


ところが、新たな論争が勃発した。コンスタンティノポリスにある修道院の院長であったエウテュケス(378年〜454年頃)が「唯一の本性」というアレクサンドレイア派的概念を極端に解釈し、キリストにおいて人性は神性に吸収されたので、「われわれと同質」という合同信条(※1)の文言を拒否して、キリストはただ外見上人間であるに過ぎないとの説を述べた。これこそ、エウテュケスが「キリスト単性論」の創始者といわれるゆえんとなった。



※1
引用しなかった部分に記載されている。
433年にアレクサンドレイア主教キュリロスとアンティオケイア総主教ヨアンネスによって合意されたもの。


単性論を主張したのはアレキサンドリア主教ではなく、コンスタンティノポリスのとある修道院長なのである。ちなみに、このエウテュケスはのちに単性論者として破門されている。

話をややこしくしたのはキュリロスのあとに主教座についたディオスコロスだ。エウテュケスを援護し、「受肉後も二つの本性があると語るものは誰であれ排斥される」などと息巻いてしまった。これが西方側でいう「強盗会議」、449年のエフェソス公会議での出来事である。

もっとも、内容はどうあれ正式な手順を踏んで開催されているため、この会議を正式な会議と認めないのは単純に政治的・思想的な話である。不都合な決定を下された陣営が相手を貶めるために「無かったこと」にしようとし、当時は有利だった陣営がそれに反駁するのは、ありがちな構図である。

ちなみにこの会議についての評価も、当然ながらカルケドン派・非カルケドン派で大きく食い違う。日本における一般むけ概要書はまず間違いなくカルケドン派の主張のみを採用している。


ただしディオスコロスの言動が過激だっただけで、そもそもの学派の主張自体は変わっていない。コプト教会がその後貫いてきた教義は、基本的にキュリロスの提唱した「子は両性を持つが、分かちがたく融合している」というものである。本来の言葉でいえば、キリスト単性論は、『キリストの本質は神であって人ではないとするもの』である。よって形はどうあれ、人性と神性を認めているコプトは単性論ではない。


だから、カルケドン公会議におけるアレキサンドリア学派の離脱の原因は、両性論か単性論かなのではない。 

教義の問題だけに目を向けるならば、ともにキリスト両性論を認めていながら、前者が人性と神性は同時にあるが「混ざらず、変わらず、分かれず、離れない」(※カルケドン信条)としたことに対し、後者が人性と神性は融合し、「唯一の本性」となっている、という主張を崩さなかったことが分裂の原因と言える。

ちなみに、「単性論者」とされたエウテュケスは破門されているが、アレキサンドリア司教キュリロスは破門されていない。またディオスコロスも、カルケドン公会議で「教会法違反」という不可解な理由によって罷免され、追放されている。なぜか。それは彼らの主張を単性論と認められず、破門することが出来なかったからだ。

キリスト教の概要本では必ずといっていいほどコプトは単性論の教派に入れられ、「しかし当人たちはそれを否定する」などとアッサリ書かれている。しかし実際に違うのだから、そりゃ当人たちは否定するに決まっている。(笑) アレキサンドリア学派の主張が異端の単性論であったことにしないと、キュリロスを追放した理由が巧くつけられないから、頑なにそう主張するに過ぎない。

まあ反論する人もいるだろうが、宗教の思想は当人たちが主張するものが「正」なのだから、コプト教徒たち自身が「うちらは両性認めてますけど。」と言ってるのを外野が否定しても始まらんのである。



というわけで、ここでもう一冊、エジプト在住経験もあるキリスト者の声を聞いてみよう。
「コプト社会に暮らす」岩波新書から。

コプト社会に暮らす (1974年) (岩波新書)
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さてキリスト教の歴史において、三一神論はロゴス・キリスト論へと発展して、激しい進学論争を引き起こし、ひいては教会を二分するまでに至ったことは周知の事実である。
451年のカレケドン公会議(第四回教会総会議)は、ロゴス・キリスト論論争に終止符を打ち、神人二性一人格を強調したと教会史家はいう。この会議以来コプト教会は独自な道を歩みだすことになったが、一般にはこのカルケドン会議においてコプト教会は異端とされたとか、キリスト単性論者として歩みだしたといわれているが、果たして事実はどうであったのでろうか。たとえば『キリスト教大事典』のコプト教会の項は、次のような説明ではじまっている。
「エジプトにある教会。カルケドン総会議(451年)でアレキサンドリア総主教ディオスコロスが異端とされて以来、コプト教会は正式にキリスト単性論者となり、キリスト教会から孤立しはじめた」云々。
これはあくまでも西方教会から見た立場の説明であり、事実とも相反するようである。ここではコプト教会の立場から、特にこのカルケドン公会議の背後関係を概観してみたい。


<ここから長いので省略>


従来、コプト教会は「単性論派」として、教会史の主派からは排除され、東方教会の流れの中でも孤立した一派として一般には理解されてきた。しかしコプト教会からすればこれは著しい誤解といわざるを得ない。「単性論」とは元来ユウティケス主義者が主張するようなキリストの人性を否定する説に向けられた用語なのであって、コプト教会の信仰理解とは全く異なるのである。コプトでは、「言(ことば)」が肉体となった神性を強調しているのであって、人性を否定することはしていない。



まるまる一章分あるので間はかなり端折ったが、先に引用した「ギリシャ正教 東方の智」と同じように、エフェソス公会議とカルケドン公会議の二つの会議の流れが記載されている。

そして、そのはしょった部分にかなり紙面を割かれているのが、これらの公会議の本質は、教義がどうたらという話よりも 教会の権力争いであったという事実 である。

単性論という誤ったレッテルを貼って異端とされたことによって、アレキサンドリア主教座は権威を失い、主教ディオスコロスは罷免され追放される。以後、ビザンツの皇帝は独自にアレキサンドリア主教、すなわちコプトの最高権威の座を独自に任命し続けるが、コプト側はこれを拒否。640年から開始されるアラブ侵入によってビザンツの支配を離れるまで、アレキサンドリア主教が二人いるという異常事態が続くこととなった。

これは完全に政治的闘争の結果である。


そもそも、カルケドン公会議以前、キリスト教世界には四つの「権威」が存在した。
ローマ、アレクサンドリア、アンティオキア、そしてコンスタンティノープルである。(のちにエルサレムが加わる)
ローマが権威である理由はもちろん分るだろうが、アレクサンドリアやアンティオキアも同じく使徒ないし使徒の弟子によって創設されたという伝統と由緒が権威の根拠となっている。それに対し新参のコンスタンティノープルの主張は、こうなっている。

381年のコンスタンティノポリス全地公会議は、教会規定三において「コンスタンティノポリスの主教はローマの主教に次ぐ名誉上の地位を有する。なぜなら、そこは新しいローマでからである。」と宣言した。

「ギリシャ正教 東方の智」より。



そしてカルケドン公会議は、このトップ争いレースから強力なライバルであるアレキサンドリアを叩き落したものだと見ることも出来る。ちなみに、カルケドン公会議では、コンスタンティノープルにローマと同等の権威を与える採択も成されている。

この時から、ローマとコンスタンティノポリスの間にはぎくしゃくした権力争いの空気が流れ始めることになる。東西教会の分裂、「大シスマ」の種は、既に撒かれていたと言っていい。


まあ、こんな下世話なキリスト教の概要本には滅多に出てこないかもしれない。だが、人の成すわざの積み重ねはすべて「歴史」である。「歴史」として教会史を裏から見れば、やってることは世俗と変わらない。カルケドン公会議後もアレキサンドリア司教ディオスコロスは破門されておらず、「教会法違反」という取ってつけたような理由で罷免されており、その後幽閉されたまま死亡している。そしてこれ以降、アレキサンドリア司教座がローマやコンスタンチノープルの権威と肩を並べる日が来なかったのは、歴史上の事実なのだ。




また、別の見方によれば、カルケドン公会議では権力争いだけではなく、典礼に使われる言語の問題もあったのではないかと言われている。

「砂の楽園 コプトの僧院」の「アレキサンドリアと教理論争」という対話インタビューより以下を抜粋する。

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このように聖職者たちは激しい議論に熱中しましたが、実のところをいうと、教理が問題ではなく、現実には儀礼に用いる宗教言語をラテン語とするかギリシア語とするか、コプト語(エジプト語)とするかという実際上の問題によって大きく分裂していたわけなのです。ローマが一番気にしたのは、アレキサンドリアの教会が典礼語としてギリシア語系に属しているコプト語を使用しているということだったと思います。というのは、この時期ローマとビザンティン教会はラテン語を使っていましたから。一方シリアのアンティオキアはシリア語です。エジプトのアレキサンドリアは、コプト語です。コプト語はエジプト語ですから厳密にはギリシア語とはいえませんが、ギリシア文字を使った独自表記法で、それを典礼語として使っていた。このような言語による宗教支配をどこまで貫くことができるか、この点にローマ帝国は威信をかけていた。ローマ教会からすると、ラテン語の行きわたる範囲というものが、ローマ帝国の支配圏。したがってキリスト教の儀礼は全部ラテン語で行いたい。この辺は教理上の問題というよりも、言語を基本とした宗教支配の問題が根底にあると思います。実際、表面に出てきている問題は、神学論のように見えますが、ほんとうは複雑で必ずしもそうではないんじゃないかと思います。


ここにも、ローマとコンスタンティノープルが組んでアレキサンドリアの権威を失墜させたかった理由の一つを推定することが出来るだろう。



なお、この記事ではかなり東方、というかコプト寄りの書き方をしているが、それは一般人が多く触れている資料が西方寄りになっているだろうからバランスをとろうとしての話である。コプト側の資料にも、西方教会への誤解はあるし、自分たちに都合の悪いことは隠している点がもちろんある。

449年のエフェソス公会議でアレキサンドリア主教ディオスコロスがコンスタンティノポリス主教フラウィアノスを罷免し、暴力をふるったことはコプト側の歴史には滅多に出てこない。出てくるのは大抵の場合、正式な手順を踏んで開いた公会議を「強盗会議」呼ばわれされ、カルケドンで貶められたという被害者的な記載だけだ。


しかし"歴史"を学んでいる者ならば皆知っている。歴史とはそういうものであり、語る者の立場によって姿を変えるものなのだと。



コトが宗教に関わる話であるだけに、"信仰"で語られるのであれば、私はそこには関与しない。

"信仰"としてなら、進化論を否定しようが、死んだ人間が三日後に生き返ろうが、ピラミッドはUFOが作ったことにされようが、「信じるならそれが真実じゃないんですかねー」って感じである。しかしそれを「歴史」の枠組みの中で語るのであれば話は別だ。

両性論と単性論の議論、および各宗派の分離にいたる経緯は歴史である。
歴史である以上、史料を批判することなしに語られた言葉を真実と受け取ってはならない。


 ・現代において表向きに単純化され公表されている「経緯」は、「歴史」ではない。
 ・西方教会と東方教会の見解は互いに食い違うことがある。

その中でも、コプト教が単性論とされているのは実は誤りだという部分を分りやすい点として集中して書いた。ちなみに同じく単性論とされているエチオピアも、コプトと同じくキリストの「神性を重視する」「神性と人性は融合している」としているため、単性論ではないようだ。(資料がないため分らないが、アルメニア、シリアについてもおそらく同じではないかと思う。)

要は、概要本だけ読んで分った気になってちゃあかんのよ。さらっと流されてる部分に重要な理解の齟齬が隠れてることもあるよってことだ。これは何のジャンルでも同じことだ。
歴史は一方の立場から見てはいけない という普遍の鉄則は、教会史に対しても適用されてしかるべきだろう。教会の思想とは、多くの時代において、歴史と分かちがたく結びついてきたものなのだということは、忘れてはならない。


*おまけ ハンギング・チャーチ

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