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zoom RSS 古代オリエントビールから現代ビールへ繋がる道は存在するのか

<<   作成日時 : 2014/06/11 00:10   >>

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以前、キリンビールと吉村作治が組んで「古代エジプトビール」なるものを売り出したときに、「それは古代エジプトとは何の関係もない。吉村氏が自分の発見と言い張ってるものは別の研究者の論文だ」とツッコミを入れたことがある。

http://55096962.at.webry.info/200808/article_18.html

他人の論文こそっと使って新発見みたいに言ってるのもイラッとしたのだが、古代エジプトでは栽培されていなかったデュラム小麦を使ってたり、そもそも墓の絵からのちゃんとした再現になっていなかったり、ツッコみどころは大量にあった。ビールマニアは「製法がおかしい」と言われ、古代史マニアは「古代ビールじゃなくて現代風ビールじゃねえか」と文句をつけられた誰得詐欺商法、今となっては「何でこれで誤魔化せると思ったのか…」とガッカリするしかない商品化だった。

ただし、これを調べたときにビールの製法について一通り勉強したので、自分の雑学は上がった(笑)



で、その当時なんとなく疑問に思っていながら結論の出なかったことがある。
古代メソポタミアやエジプトで作られていた原始ビールから、現代ビールに繋がる一本の線は存在するのか? ということ。

冒頭のツッコミにもあるように、キリンビールが発売した「ブルーナイル」だの「ホワイトナイル」だのいうビール(その後に発売された「ルビーナイル」も)は、材料、製法ともに現代ビールであって古代ビールではなかった。古代と現代のビールの間には、大きな製法の転換期が存在する。それがいつで、誰によってなされたものなのか。古代ビールと現代ビールの間に伝統の継承はあったのか。

そろそろビールのうまいシーズンだしねってことで今日はそこらへんちょっといじってみようと思う。



ビールの起源は、小麦の栽培を始めた古代メソポタミアである。小麦栽培を早くから始めていたエジプトでも、ビール作りはほぼ同時期に行われはじめた。その時期は、少なくとも紀元前5000年頃には遡る。証拠が残っている最古の時間がそこなので、おそらくはもっと前からビール作りはあったのだろう。

そうしたビールのメソポタミアとエジプトの「古代ビール」は、まだ技術が未熟だったこともあり、泡立ちが悪く、日持ちせず、アルコール度数も低いものだったようだ。現代の感覚からすると「そこまで美味しくない」と感じるはずだ。そのままでは風味に乏しいので、ナツメヤシやハーブなどを入れて楽しんでいたようだとも言われる。ちなみにホップの使用が始まるのはヨーロッパの中世なので、まだまだずっと先のことである。


それから時は流れる。

現代もそうだが、ビールの主役はヨーロッパの北のほうである。
これは、ビールよりワインのほうが生産が簡単だったからで、ぶどうが取れる地域はワインづくりを好んだからだ。アルコール飲料としてビールを製造するのは、ぶどうが取れない寒冷な地域が多い。ローマでは、エジプトでさかんに作られているビールを二級の飲み物と位置づけ、ワインを至高の飲み物と考えた。もっともローマ支配地域では小麦よりぶどうのほうが取れやすかったこと、パンを作る小麦が足りずエジプトなど穀倉地帯から大量に輸入していた都合上アルコールにする余裕は無かったことなども理由としてはありそうだ。

ローマ時代にビールを製造していたのは、ケルト人かゲルマン人(北方のヴァイキングたち)だ。

しかし、古代のメソポタミアやエジプトで製造されていた「古代ビール」と、ケルトやヴァイキングが生産していたいわゆる「エール・ビール」の間は直接繋がっていない。古代ビールはまずパンを焼くことで糖化を促している。ケルトやヴァイキングは、パンを焼かず麦を麦芽にする現代と同様の手法で糖化を促した。ここに、製造方法の大きな断絶がある。どこかのタイミングで、「いちいちパン焼くより麦芽でいいんじゃね?」と思いついた人がいたのだ。

ちなみに麦を麦芽にするのは、小麦より大麦のほうが簡単だという。古代オリエントの時代には麦の種類はあまり区別されていなかったが、現代のビールは大抵が大麦だ。「小麦はパンにして食おう。大麦はビールにしよう」という伝統は、麦芽からビールが作られるようになって生まれた区別だと思われる。

では一体、それはいつ、どこでなのか。


ここが資料がなくてハッキリしないのだが、私は、現時点では実はケルト人が一役買ったんじゃないのかなーと推測している。ケルト文化の最西端、イギリスで、古くからさかんにエール・ビールが作られていたことからの仮説だ。

少なくともギリシャ時代には、エジプトからクレタ島・キプロス島へビールの製法が渡っている。(ちなみにエジプトに隣接するレパント地方はぶどうが取れたのでビールよりワインが一般的だったようだ)

ローマではビールはあまり好まれなかったので、その周辺に住んでいるケルト人がビールを受け継ぐ。
ケルト人なら技術の魔改造くらいできたんじゃないかなっという期待。ちなみにエール酵母は常温発酵が普通で、発酵期間も数日とラガー酵母に比べて短い。移動しながらでもサクッとつくれちゃうのだ。

ケルトとヴァイキングは文化的な接触もあったので、ケルトからヴァイキングへの技術伝達もあったものと考えられる。



…というわけでケルト人のビールづくりの資料を探したいのだが、そもそもケルトの資料が少ないっていうね(笑) ガリア戦記とかしかないわ。ケルトの民俗が詳しく分かる資料があったら誰も謎の民族とか言ってないわ。

たぶん証明は出来ないんだろうな、と思いつつ、人類とビールの歴史 約7000年を思うのです。


でもごめんね、ヴォクはビールよりさとうきびか米の酒が好きなの…エヘ



*****

この本わかりやすかった。
ビール広告のわけわからん記述に「??」ってなってたあなたも、今日からこれでビール通。

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