現在位置を確認します。

アクセスカウンタ

zoom RSS 織物のつなぐ中世・古代 ―アフリカの綿栽培 

<<   作成日時 : 2014/02/13 00:10   >>

トラックバック 0 / コメント 0

前回調べていた、「ツタンカーメンの衣装と藍染の服」について。

ツタンカーメンの衣装と藍染の服 〜インドから続く藍の道は存在するのか
http://55096962.at.webry.info/201312/article_26.html

古代エジプトで使われていた藍染は、アフリカ原産の藍とは異なる種類の植物が使われていた可能性が高いという。アフリカ原産の藍「ヨルバ・インディゴ」が使われ始めたのは18世紀頃で、インドネシアからアラビア半島経由で染色法が伝わったとされている。

ちゃんと調べてはいないが、古代エジプト時代の藍染めの染色法は今もよく分かっていないのだろうと思う。墓の壁画などでも織物のシーンはあっても染色のシーンは見た覚えがない。そんなわけで古代エジプト時代の「藍染め」と、現代のアフリカ西岸で行われている「藍染め」の間には関係がないのだが、もう一つ気になっていたことがある。

現代の西アフリカ、コートジボワールやガーナ、ナイジェリアなどで作られている染め物の布地が「綿生地」だということだ。

 アフリカに綿なんて自生してたっけなぁ…?

と、疑問だったのが、ふとしたことから伝来経路を発見した。
中世ヨーロッパとアフリカの交易についての資料を眺めていたらあったわ。

14世紀頃にアラブ・ムスリムが綿の木を持ち込んで、「マリ王国の初代王マーリー・ジャータが農業改革に力を入れ、綿の木の栽培を持ち込んだ」とある。これによりアフリカ西岸のマリ周囲の国々で綿栽培が盛んになり、綿織物の輸出が盛んになっていったという。マリの伝統布ボゴランフィニなども綿生地だから、14世紀以降に発展した伝統の一つなのだろう。

藍染めの染色法を西アフリカに持ち込んだのも、アフリカを横断したアラブ人だから、西アフリカで現在もつくられている綿生地の藍染めはアフリカとアラブの文化コラボレーションによって生み出されたもの、と言えそうだ。


奴隷にするために人かっぱらうしか無かったヨーロッパとの不幸な出会いとは、ずいぶんな差だな(´・ω・`)
今でこそアフリカ現地民とムスリムが衝突してるイメージだけど、もともとは交易ルート通じて共存共栄できてたんだろうな(´・ω・`)

一枚の布から、そんなことを思ってみたりみなかったり。


サハラが結ぶ南北交流 (世界史リブレット)
山川出版社
私市 正年

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by サハラが結ぶ南北交流 (世界史リブレット) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

織物のつなぐ中世・古代 ―アフリカの綿栽培  現在位置を確認します。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる