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zoom RSS 「最後の晩餐」とクイ料理 …と、チチャ

<<   作成日時 : 2014/01/04 00:10   >>

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クスコのカテドラルにある「最後の晩餐」の絵は、食卓のド真ん中に据えられた皿に乗っているメインディッシュが、魚からクイにすり替えられている。
クイというのは、日本語ではテンジクネズミと呼ばれるモルモットっぽいネズミで、クスコでは周辺ではハレの日のごちそうとして丸焼きにして食べるという。いわばクリスマスの七面鳥みたいな扱いだ。

魚がクイにすり替わっているのは、よくある、著名な絵を面白おかしく作り変えるコラ画像とはわけが違う。
テーブルの真ん中にネズミなんて…と、見る人は笑ってしまうだろうが、画家はたぶん大マジメにあれを描いている。

標高の高いクスコ周辺では、魚といえばティティカカ湖で取れるカラチ(フナっぽい魚)か、トゥルチャ(マス)だが、これらは大衆食で、正式な晩餐には相応しくない。特別な日にみんなでテーブルを囲んで食べるものはクイがふさわしい。
テーブルの中心にあるのは魚ではなくクイじゃなきゃダメなのだ。

同じ、魚がクイにすり替わっている絵はリマのサンフランシスコ教会でも見たので、探せばあちこちにあるのかもしれない。
絵の描かれた年代が全て同じかどうかは分からないが、キリスト教が入ってきた後=スペイン植民地時代以降の絵のはずだから、近代のものでなければ、ほぼ同時代の絵と言っても間違いはなろう。

あの絵は、キリスト教が、伝導先で土地の文化と融合していく過程の一つの指標だと思う。
教えがそのまま受け入れられることはまずない。その土地ごとに、土地にもともとある概念や常識に当てはめて吸収されていく。日本にキリスト教が渡ってきた初期は、天使という概念がなかったので天女に置き換えられていた、とかいうのと同じだろう。



さて、クイ料理までは理解できた。
ここからが問題で、その「最後の晩餐」の絵では、魚はクイになっているのに、ワインがチチャになっていないのだ。
ローカライズが中途半端になっている。南米には、ワインどころかブドウがない。馴染みのないワインをそのまま描いてるのは何でなんだろう、と。

いろいろ考えてみたのだが…たぶん、「パンとワイン」はキリストの「血と肉」で、宗教儀式上重要なものなので変更不可だったから、じゃないのかなぁ…という結論になった。クスコのカテドラルにしろ、リマのサンフランシスコ教会にしろ、絵は教会の重要な部分に架けられていた。発注者は聖職者か、信仰の厚い誰かだったと推測できる。その人たちが、魚をクイに変えるのは許しても、パンとワインを変えることは許さなかったのではないだろうか。

あと、チチャが「ハレの日」に必須のものではなかったから、というのもあるかもしれない。
インカ時代のチチャは、皇帝が家臣に従属を強いるもの、あるいは貴族や族長たちの宴全般で振る舞われるもの。インカ時代、一般人はチチャをあまり口にせず、馴染みが薄かったとも言われる。

クイ以外に土着のニオイがなく、ぱっと見コラ画像みたいなことになっているクスコの「最後の晩餐」の食卓。
ちなみにクスコでは、現代でも生誕祭などのお祭でクイ料理を食べるらしい。クイとワインとパン。
魚がキリストのシンボルだとか、受難の日はもともと肉食を避けてたとか、そういうのは「ヨーロッパの話でしょ?」って感じ。

南米出身の教皇さんが出ても、南米のキリスト教はやっぱり土台からして何か違うと思うんだよなあ。


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