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zoom RSS ワタリガラスの神話/ インディオとイヌイットの間で共通の神話が語られる理由を考えてみた

<<   作成日時 : 2014/01/28 00:10   >>

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ワタリガラスの神話と語り継いできた人々について
http://55096962.at.webry.info/201311/article_17.html

「なんで、言語的にも文化的にもかけ離れてるアラスカ・インディアンとエスキモーに共通する伝承があるんだろう?」というのが発端。
遺伝子的にも差異がかなり大きく、そもそも北米に移住してきた時期からしてズレている。現在てに至るまでほとんど交流もない。なのに神話伝承だけ移植されるってことがあり得るの? っていうのが、よく分からなかった。


調べてみた結論。


●実はかなり近代に神話が交じってる可能性がある
●現在進行形で神話が作られていて、学者の収集も追いついていない
●それどころか学者に話しながら語り部が即興で神話を作ってたりする
●なので伝播経路とか分かりません


前提として、無意識にヨーロッパやアジアの神話を想定してしまっていたのが間違っていたらしい。

ヨーロッパは、ある一定の時期にキリスト教化されて過去と現在がバッサリ断ち切られ、過去の神話伝承は「死んだもの」として時間が凍結されてしまっている。アジアも、宗教として確率されたり、早い時期に文字を導入して明文化して物語の生成を停止してしまっているケースが多い。

ところが北米先住民の伝承の世界というのは、今なお口伝で変化しながら伝播し続けている「生きた物語」の世界のようなんだ。
その変化スピードは、わずか数十年で物語に枝葉が増えたり、新たなエピソードが付け加えられたりするほど。

ただし、それは決して他と比較して特別に早いわけではない。”ローランの歌”は、元ネタになった実在の人物が死んで百年後には神話化されて元ネタとは似ても似つかない壮大なストーリーになっていた。物語が生きて、生成され続けている状態は、そういうものなのだ。


極端なとこだと、「あるひとりの人物が持ち込んだエピソードが今まさに物語に取り入れられようとしてる」という過程の神話があったりする。


たった一人の人間が、重要な神話圏の全体を伝えたという事例もある。

たとえばその例として、バンクーバー島の北部のある一部族にのみ伝わる、ワタリガラスの起源譚神話を挙げることができる。この物語は、アラスカで奴隷生活を送った後、最終的に友人たちに身請けされたある一人の男によって伝えられたのだが、現在でも一部の人々はこの由来を覚えている。しかしそうした外来の物語であるにもかかわらず、この神話は、地場のワタリガラス神話に組み込まれた形で口承されるのが、すでにあたりまえになっているのである。一方、近隣の部族は皆この物語を自分たちの神話に受け入れることを拒んでいる。

北米インディアンの神話文化/中央公論新社



アラスカ→バンクーバー、いっきに大陸の半分くらいの距離を飛ばして、同じ「ワタリガラスの神話」を持つ遠方の部族にストーリーが伝播している。しかも外来の神話だと理解しつつ、自分たちの神話に組み込んでしまっている。もともとワタリガラスの神話があった文化圏とはいえ、そういうこともあるんだな、と。

これは伝播経路を特定できた稀なケースだが、この勢いで神話が変化し続けるとなると、そりゃあ学者の収集も追いつかないですわ。(笑) というかむしろ、学者自身が持ち込んだストーリーが次に行った時にはそこの神話に組み込まれてそうですわ。

「神話が”既に死んで”いる文化圏」と、「神話が”生きて”いる文化圏」の違い。
死んだ神話は時が止まったまま変化しないが、生きた神話は、再び触れた時には別の姿に変わっている。

アラスカのインディオとエスキモーの間に共通する神話は、実はごく最近になって、両者が同じ「カナダ国民」という枠でくくられるようになってから作られたものなんじゃないか? というのが、色々資料をあさってみての現在の自分の手応えだ。
両者とも自然界にワタリガラスが多く住む地域に暮らしていて、元々、素地となるワタリガラスの神話が存在した。そこに、お互いの物語のエピソードをいくらか取り込みあった結果、物語が似るようになってしまったのではないだろうか。

百年後には、今よりもっと物語で似てきているかもしれないし、お互い別々のエピソードを取り入れて、違う方向へ物語が進化していっているかもしれない。彼らの中で神話が「生きて」いるものとして扱われ続ける限り、未来に語られる物語は現在のものとは違っているはずだ。

まあなんていうか、生きた神話の研究って大変なんだなと思った…。
インディアオの伝承は個々の具体的なエピソードってあんまり重要じゃないんだな、というのが良く分かった。もういっかい同じ部族に行って別の人に話聞いたら、全然話が変わっちゃってたりするんだもんな。ヨーロッパ基準だと神話の研究=文献研究だけど、北米先住民の神話の研究=聞き取り調査なので、フィールドワーク、民俗学になっちゃうんだな。今更そんなことに気がついてみたり。


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