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zoom RSS 騎士本と騎士文学 読み終わらないぜティラン・ロ・ブラン

<<   作成日時 : 2013/12/03 00:10   >>

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中世騎士文学にありがちな展開ではあるけれど、

  想いを寄せる姫の肌着もらって身につけて戦うのって

  現代でいったらHENTAIだよね



書かれた当時の習慣を忠実に反映している、と評判の文学「ティラン・ロ・ブラン」。
忠実だということは、女性のシュミーズをヨロイの上から着込んで敵陣に突っ込むのは史実だったのか。それはアリなのか。変態なんだが… 変態さんなんだが…。

あと王族はベッドに入るとき、床に服を脱ぎちらかして全裸で布団に入るのが作法ってマジなんですか…。

そんな些細なことが気になってしょうがない今日このごろです。



と、いうわけでお題は「ティラン・ロ・ブラン」。

本が持ち歩けるサイズではないので家でまとまった時間があるときしか読めず、そしてまさにそれが無い、必然的に読み終わらない。そんな感じでもようやく1/3くらいは来たかな…。

完訳ティラン・ロ・ブラン
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「世界最高の文学」とまで言われたことのある文学作品、しかもカタルーニャが斜陽の15世紀にカタルーニャ語で書かれた作品と聞けば、気になって手にしてしまうもやむなしというもの。しかも現在に再評価したのはペルー人だとか。数奇な運命を辿った、とは月並みな表現だが、まぁちょっと型破りな作品かも。

大長編で、邦訳はあるもののお手軽な文庫版などがないから少々とっつきにくい。ただメインとなる登場人物が少ないのと、他の作品にはない「キャラ立ち」がウリの作品のため、いったん読むのを打ち切って途中からまた読み始めても、混乱することはない。

この作品の大きな特徴は、冒頭に書いたように”書かれた当時の習慣を忠実に反映している”と言われていること。登場人物たちにリアリティをもたせようとしていること。また、カタルーニャ語の様々な文献を引用して作品に組み込んでいること。

「騎士たちが食事し、眠り、当たり前のことをする」。セルバンデスがサンチョ・パンサに言わせたセリフは、読み進めるうちに成る程と思えてきた。決闘に挑む前に、決闘のための盾を作らせ色を塗らせるとか、雨の直後に町に出かけるとマントが泥まみれになってしまいもう使えないとか、細かいところで妙にリアリティを出してくる作品なのだ。なんていうか…わりとどうでもいいところで細かいというか…生活感溢れてるというか。いや、生活感溢れる騎士モノは他にもあるな…。

… 所帯じみてる感じ?

たぶん。

中世の騎士モノは他にも多少は読んできた。フランスのもドイツのもイギリスのも。細かい描写も、宴会シーンとか一騎打ちのシーンでは多々あった。しかしイチイチ船に食料を積み込んだり、戦争をするたびに戦後処理を具体的に上げたりするのは、あまり無かったかなあ。登場人物の心情もそうだけど、他では無視されている部分が細かく描かれているのが、リアリティを感じさせる理由だろうと思う。

主人公が大活躍するのは他の騎士モノと同じだけれど、その活躍は八面六臂な超人的なものではなく、ある程度は人間味のある範囲に抑えられている。

実はこれが当時としては画期的な表現方法だったというのが、巻末の「解説」に書かれていた。


しかし、一つ大きな違いがある。それは、「ティラン」が、非常に写実的、現実的で、当時の社会状況までをも忠実に映し出しているという点である。従来の騎士道物語は、エキゾチックな架空の土地で、スーパーマン的なヒーローが大活躍する空想冒険・恋愛物語であった。騎士道物語が、ルネサンス期に、幼稚で子供じみた物語としてモンテーニュらに批判された理由もここにある。


確かに、中世の騎士モノってぶっちゃけ地理とかよくわかってないんだよね。魔法を使う中国の王女が一騎打ちに乱入したり、妖精が手助けしてくれたり、賢者様から借りたペガサスで月に行っちゃったりする話もあるしな…。

マルティ・ダ・リケーは、旧来の騎士道物語を「騎士道本」、「ティラン・ロ・ブラン」のようなタイプのものを「騎士道小説」と呼んで両者を区別することを提唱している。そして、「騎士道本」は、一方ではやがてセルバンデスにパロディー化されて葬り去られるが、他方では「ティラン」のような「騎士道小説」によって乗り越えられ、過去のものとされることになった、と指摘している。


ざっくりまとめると、12-13世紀あたりの十字軍華やかなりし頃、その遠征の記憶と東方のイメージが混ぜ合わされて騎士道本がさかんに書かれたが、時代が進むにつれファンタジー的な要素が幼稚と見なされてリアル志向になり、15世紀に「ティラン」が書かれた、という感じの流れだろうか。

いわば百年単位で小説の嗜好が変わっているわけで、当時は小説の流行り廃れのサイクルが遅かったんだなあ、なんて思ってしまう。私としては、空想満載の”騎士道物語”も、リアル嗜好で当時の風俗にツッコミ入れて楽しめる”騎士道本”も、どっちも好きかな。それぞれ楽しみ方があるし。


しかし一番進歩してると思ったのは、イスラム教徒の描写がリアルになってることかもしれない。「ローランの歌」のイスラム教徒なんてアポロの像に礼拝してることになってたからな(笑) お前らレコンキスタでイベリア半島のイスラム教徒と接触あったんちゃうんかい、なんなのその誤解、と、後世の人もツッコんだことだろう。

ちなみに「ティラン」ではロードス島をめぐる戦いや、ムスリムと組んだジェノヴァ戦、ヴェネツィアの救援など史実に則したシーンもたくさん出てきて、歴史小説のはしりっぽい雰囲気もあります。

文庫版が出ていれば人にオススメしてもよい作品だと思うのだが、いかんせん広辞苑サイズではどうにもならんというお話。




…年末にまとまった時間がとれたら読み終わるかなー…。(´・ω・`)

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