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zoom RSS 「極限の民」ルポタージュ三部作最後、「アラビア遊牧民」…砂漠のオキテを知らない旅人の末路は

<<   作成日時 : 2013/11/04 00:10   >>

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先に紹介した「カナダ・エスキモー」、「ニューギニア高地人」に続く、極限の民シリーズの第三弾、「アラビア遊牧民」もついでに紹介しておこうと思う。

著者の本多勝一という人は、なんだか色々ある人のようだ。

バラバラに古本屋で手に入れてきたものなので版数も出版元もまちまちなのでそのせいもあるのだろうが、一冊目の「カナダ・エスキモー」の巻末には、著者が週刊誌に叩かれていること、NHK受信料の不払い運動をしていることなどが書かれているだけで良くわからなかった。二冊目は巻末には特に何もなし。三冊目の「アラビア遊牧民」の文庫本に至ってようやく、「本多が60年代を通してやってきた仕事」の中身について語られていた。

60年代…。今から50年前…。

なんとなく文章に昭和的な古さを感じる所が幾つかあったので成る程と納得した。どおりで、私が本多という人のことを何も知らなかったわけだ。当時は随分騒がれたようなことが書かれていた。

アラビア遊牧民 (講談社文庫 ほ 2-3)
講談社
本多 勝一

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*今回手に入れてきたのは、この文庫。


ただ、この人が他にどんな仕事をしていたのであれ、「カナダ・エスキモー」と「ニューギニア高地人」は、とても面白い本なので安心して何も考えずに読んでいい。エスキモーの話は自分が全く知らないので正誤の判別がつかないが、ニューギニアのほうについては、ナショジオチャンネルなどで見たことのある話も出てきて、たぶん合ってる。ただし本が出たのが50年前なので、状況はだいぶ変わっているようだ。

問題は、この三冊目。

ここに至って著者は、どうやら大失敗してしまったようだ。集落の民に冷たく扱われ、金をせびられ、満足に取材もさせてもらえない。というのも、エスキモーやニューギニア高地の民のところへ行くときやったように、前提知識何もなしに、現地人の生活に密着して真実を洗いざらい描き出そうとしたのだ。それが砂漠においては、大変に失礼なことに当たるという考えもなしに…。



サウジアラビアの砂漠に住む遊牧民たちは、極限の民だが、未開の民ではない。


東にメソポタミア、西にエジプト文明が生まれた時から、その砂漠は文化の通り道であった。エジプトはメソポタミアの楔文字に発想を得て文字の生成に着手したという。また階段ピラミッドを囲む壁の建築様式は、確かにメソポタミアの影響が伺えるという。エジプトの王はピラミッドをつくる前から遠征隊をシナイに送っていたし、シリアからはたくさんのエジプト土器が出てくる。シヴァの女王の国はエチオピアかイエメンだったとも言われている。
砂漠はただの荒涼とした何もない土地ではない。そこには確かに道があり、縦横無尽に何千年も人が行き来してきた空間なのだ。

だから、そこの遊牧民は決して未開の民ではない。極限の地に住んではいても、何千年もかけて練られた文化(慣習)があるし、他文化をよく知っていて、その折り合い方も身につけている。

遊牧民のあまりの冷たさに、著者は「日本人となんて違うのだろう」と嘆いているが、日本人だって、うさんくさいよそ者が来てもとりあえず最初は愛想よく振る舞う。だが相手が程度の低い野蛮人だと分かるや、さっさといなくなってくれないかなーという意味で冷たくしたり、村八分にもするだろう。

なんのことはない。
日本人が特別なのではなくて、アラビア遊牧民は著者が出会った中で一番「日本人によく似た」民族だと思う。細君と見知らぬ異国人を決してふたりきりにさせたりしない。信用できない客人を家に泊めるのは嫌がる。身内に閉じた文化を持つ民からすると、それは至極当たり前の反応ではないだろうか。

そう、事前に知っていればよかったのである。

女たちのテントに写真を撮りにふらふら近づいたりしてはいけないし、モノを貰っていちいち声に出して「ありがとう」とは言わない。相手の差し出したものは何であれ黙って受け取るのが美徳であり、断ることは相手のメンツを潰すという文化なのを知っていれば良いだけだった。(そのぶん後日お返しが必要なのだが…そこは日本のお歳暮なんかと似ている)

そもそも最初のコーヒーを注ぎ回すところからして、客人としての「格」を品定めされていたのではあるまいか。
コーヒーを差し出されたときの砂漠のマナーは、「第三者が差し出したとき、その宴の主人を差し置いて先に飲んではいけない(主人の顔をたてて、まずは遠慮する)」「主人自らに勧められたときのみ口につける」らしいので。砂漠の礼儀作法には、細かいルールが沢山ある。

私がそうした砂漠の礼儀作法を知ったのは、もう一冊、ずっと以前に手に入れた、同名タイトルの本「アラビア遊牧民」からだ。著者はアメリカ人。原著の発行は1927年とのことで、まだ遊牧民に奴隷がいて、略奪が禁止されていない時代のことだから、本多氏の本よりは何十年か前の時代になる。

アラビア遊牧民 (1968年)
大陸書房
W.B.シーブルック

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これ読んでから砂漠行けばよかったんじゃないのかなー…。

こっちのシーブルック氏は、礼儀作法などを徹底的に覚えてから砂漠に入っていて、心地よい滞在が出来たようだ。(それでも何度かはタブーに触れてしまったようだが) 同じような場面は沢山でてくるが、両者の捉え方はかなり違う。また、本多氏がやろうと思ってできなかったことをシーブルック氏が出来ているのは何故なのか、滞在した部族の相違だけなのかということを考えてみるのも面白いかもしれない。

相手が洗練された文化を持っている場合には、相手の文化を尊重しようとする態度がなければ、どこの国にいってもうまくやれないと思う。最初の二冊でうまくいっていたのは、相手が異文化に寛容というよりも、自分たちの文化をあまり持たない、白紙に近い人々だったから、ではないかと思う。面白い本だったが、冷静に考えてみると、ある日突然生活に入り込んできて根掘り葉掘り調べるなんて、失礼なことをしたもんだと思う。ある意味、テレビや週刊誌にありがちな無神経さとでも言うべきか。

三冊目で著者が気づかなくてはいけなかったのは、日本文化の特殊性とかじゃなくて、自分たちの強引な取材態度だったような…(笑)



砂漠の民でなくても、たとえばエジプトなんかでも、日本人旅行者がボッタくられて「もう二度と行かない」などと憤慨している例はよくある。けれど、それは、ボッタくられる側が「よそ者」と認識されているから、ということがある。

身内からボッタくってはいけない。ただしよそ者は別。
それがエジプトの暗黙のルール。

身内に対しては凄まじくフレンドリーで、しかもエジプトの場合は、だが、ちょっと数日行動を共にしただけで友人扱いされることがある。そうなるとお節介すぎるほど気を使ってくれて逆に困る。ベドウィンだと身内=血族の単位なのだろうか。さすがに数日で友人になれはしないだろうが、シーブルック氏の本のほうを読んでいると、とにかく相手のメンツを守れる礼儀正しい人が「好ましい客人」として良く扱われるように思える。

礼儀を全く知らず、相手のメンツを潰すことを無意識に幾つもやってしまった結果として扱いが最低になっただけで、砂漠の民が特別がめつい、というのでは無いと思う。

砂漠の民に幻滅した著者は、日本人となんと違うことか、と最後に嘆いている。

が、ほかのアラビアものを読んだあとの私なら、こう反論するだろう。彼らは礼儀作法とメンツを大事にする意味では、日本人と大差なかったはずだ、と。

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