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zoom RSS 学術としてのエスキモー研究 極北の文化誌

<<   作成日時 : 2013/11/17 00:10   >>

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一冊なんか新しいジャンルの本を読むと、芋づる式に同ジャンルに手を出すのは常。
エスキモーの暮らしぶりについて、「カナダ・エスキモー」という本で読んで興味をもったが、この本はどちらかというと「冒険日誌」で、包括的な情報がなかった。

全体が分かる本として探してきたのがこちら、「エスキモー 極北の文化誌」という本だ。

エスキモー―極北の文化誌 (岩波新書)
岩波書店
宮岡 伯人

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この本によると、エスキモーといってもその実態は様々で、ベーリング海峡の大陸側(ロシア)に住むエスキモーら、アメリカ領のアラスカ、カナダ、さらにグリーンランドに住むエスキモーまで、北の大地に広く分布している。そして居住地に応じて、食生活や文化、言語までもかなり違う。さきに読んだ「カナダ・エスキモー」に登場した人々は、カリブーやアザラシを食べる、カナダの東地域に住むエスキモーだったが、この本のメインとなっているユッピック・エスキモーはシャケが主食だ。

そういえば、アラスカの写真を撮り続けていた写真家、星野道夫のエッセイに出てきた人々も、シャケを食べていたのだった。星野氏は、あまりにもサケの干したのが旨いので、手が油でギトギトになるまで食べたという話を書いていた。なるほどな、シャケが取れる地域(魚食メイン)のエスキモーと、とれない地域(海獣メイン)のエスキモーがいるんだな、と、自分の中で整合性が取れていなかった情報がうまく繋がった。

広い地域に分散して暮らしていること、また地域によって主食すらも違う状態であることから、彼らは「集団」単位での暮らしをしている。そのため言語の違いも日本の方言以上にバラついているという。
これは、日本の東北地方の方言が比較的キツくて、場合によっては同じ日本人同士でも意思疎通が難しいことに似ているかもしれない。

画像



ついでに、エスキモーの自称である「イヌイット」という言葉自体も、地域によって方言差があり、西のシャケを食べているエスキモーの一部は「ユッピック」と自称しているようだ。

↑の地図でアジア側(ロシアに近い側)のほうが方言の地域差が大きくて、ヨーロッパ側(グリーンランドに近い側)は方言差が小さいらしい。鮭が主食なのがアジア側、セイウチやアザラシなどが主食なのがヨーロッパ側。



ところで、この「エスキモー」という言葉は、外部者が呼んだ「生肉を食う連中」という意味で、もともとは蔑称のようなものだ。彼らをそう呼んだ外部者とは誰だったのか、ずっと気になっていた。呼んだのは、エスキモーと生活の境界線を接する、アルゴンキン・インディアンだという。カナダの奥深く切れ込むハドソン湾に住む。彼らの接したエスキモーは、鮭のとれない、まさに生肉を食っていた地域のエスキモーたちだ。

逆に、カナダやアラスカのエスキモーたちは、インディオのことを「シラミの卵」とか「イヌから生まれた連中」とか呼んでいたというから、まあお互い様。仲が悪かったのだろうな、ということだけは確かに伺える。にも関わらず、彼らには共通する伝説が存在するということは、どこかで人の交雑があったということか。実に興味深い話だが、ここではとりあえず置いておこう。

「カナダ・エスキモー」では、確かに生肉を食うインディオの話が登場した。一方で、鮭を主食とする西側(ロシアに近い側)のエスキモーたちは、野イチゴなど植物も利用するという。さらにエスキモー・アイスや、くさやに似た食べ物なども作っている。イメージ的にはフィンランドの北部に住むエスキモー(サーミ/ラップ人)と同じだ。一冊の本からすべては見えてこない。すこしカメラを引いて全体を見通してみれば、エスキモーたちの世界は多様で幅広く、先に読んだ「カナダ・エスキモー」の本では、ごくごく一地域の、ほんの一握りの世界しか見ていなかったこともわかってくる。

今回読んだ本の末尾には、様々な日本のエスキモー研究書が載せられていた。
学術系の本を読みたければ、祖父江孝男という人と、今回読んだ本の著者である宮岡伯人という人の本を探してくれば良さそうだ。

***************

この本を読むまで、第二次世界大戦中の日本軍とエスキモーの間に関わりがあったことを全然知らなかった。

アラスカ・エスキモーの村々では、通称を「ツンドラ部隊」といった義勇軍が組織され、アリューシャン列島のアッツ島からキスカ島へと日本軍の進行が身近に感じられてきたベーリング海に面する村では、とくに熱心にその上陸や諜報活動にそなえた教育と訓練が行われた。このため終戦後17年を経ていた当時でも、いちばん辺鄙なネルソン島のようなところでは、新しい日米関係の展開は十分に明らかではなかったのであろう。


研究調査の目的で行った学者先生を日本軍のスパイと勘違いしたイヌイットの村人の下りだ。日本人自身は意外とこういう情報を知らない…。

これを知ったあとだと、先の「カナダ・エスキモー」で著者たちが訪れた地域が西側のグリーンランドに近い地域だったのも、日本軍との関わりがあまりなくて、日本人に敵意を持たない地域を選んだんだなぁということがわかってくる。生肉を食べる地域だった、というのもあるだろうけれど。


あと、巻末に書かれていた、やらかした大新聞っていうのは… やっぱり あそこなんだろうかね…。

日本のイルカ漁が文句を言われていることに反論するために、エスキモーに無断で、エスキモーのイルカ狩りの写真を利用してアラスカで大ブーイングになったとか。

何十年か前の本なんだがな…。昔から新聞社のすることは変わらんのだなぁ、と、しみじみ思った。

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