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zoom RSS ちょっくらパチャカマ遺跡に行ってくる

<<   作成日時 : 2013/07/20 00:10   >>

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リマにいくついでに、近郊のパチャカマ遺跡に行こうかと思い立った。
ここはプレ・インカの遺跡で、日本の考古学者・島田泉先生が発掘したところだ。遺跡自体は興味のない人からすると( ´_ゝ`)フーンという感じなのだろうが… 海沿いの遺跡、プレ・インカ、魚をご神体としていた、というキーワードが引っかかった。あと砂漠の中にある遺跡というところも。

旅のメインとなるマチュピチュはインカの遺跡で、それを築かせたのはインカの皇帝なのだけれど、それだけでは南米の文明を理解したことにはならない。今回はナスカには行かないので、何か別のプレ・インカを見なくちゃならん気がした。

南米の文化といえばインカ、というイメージになってるわけだが、インカが南米のアンデス地域を広く征服して「帝国」を築いていたのはわずか150年に過ぎない。ちょうどスペイン人がやってきた時、最大版図を誇る最盛期、そして運悪く二人の王が並び立って分裂している時期だった。
インカ帝国の実態は、力で押さえつけられた複数の地域の集合体。その結束は脆い。スペイン人の到来とともに離反した部族もいたという。パチャカマ遺跡を築いた人々は、「インカ」という大看板の影に見えていない、そうした吸収された「プレ・インカ」の一部族だった。


プレ・インカという言葉は、南米の考古学の本ではよく出てくる「インカ以前の文化」という意味なのだが、そのプレ・インカに当たるものが山ほどある。シカン、ナスカ、リマ、チャビン、ティワナク、etc. 最近までいまいち理解していなかったのだが、そもそもインカというのは、先に南米にあった様々な地域のこれら様々な「プレ・インカ」の文化を征服し、統合することによって築かれた帝国なのだ。いわばローマが、征服した民族・地域の文化を取り込んでローマとなったのと同じことだ。プレ・ローマと言えば、ケルト人もゲルマン人もアジア系の騎馬民族も全部入ってしまう。一つ一つは別ものなのに、だ。

そんなわけで、インカ「以外」の南米文化が見たかった。
インカのルーツはティティカカ湖あたりからやってきた人々と考えられているから、インカの直接の祖先たる「プレ・インカ」は、チリカやティワナク文明だけで、パチャカマは、インカに直接繋がらない、吸収された被征服民の遺跡という位置づけ。


パチャカマ遺跡の、作られた当時の本来の名前は、わからない。
インカを含む南米の文化では、文字は使われていなかった。パチャカマという名前は、この遺跡を築いた文明を「制服」したインカの人々が勝手につけた名前らしい。パチャカマ、とは、神殿で祀られていた神様の名前として付けられた呼称なのだとか。
遺跡自体はインカが作り変え、おなじみの「太陽の神殿」や「月の神殿」が建て増しされており、その下に、本来の被征服民の遺跡が埋もれているという構造だ。

南米の文明は、食料の安定的な生産以前に神殿が作られ始めているという点で、よく「はじめに神殿ありき」な文明だという言われ方をする。メソポタミアなど、ユーラシア大陸の主な文明が、食料(穀物)の安定的な生産が可能になってはじめて、人間の集住、階層化、特権階級と宗教の誕生…と流れてゆくのに対し、南米では穀物生産より前に、つまりトウモロコシやジャガイモが安定して大量生産されはじめるより前に神殿が作られはじめている。つまり特権階級が誕生し、宗教が成立している。その秘密は、人工的に生産しなくても自然に大量の食べ物が手に入ったからだという。このパチャカマ遺跡もそうだが、沿岸部の遺跡は、確かに畑作はしていなかったが海の恵みをふんだんに利用できたのだそうだ。つまり魚が主食。エスキモーなんかと同じ生活だ。山のほうにいけば副菜の山の幸も手に入っただろうし、栄養は偏らなかっただろう。

ご神体が魚だったということで、パチャカマの神殿は海の幸に感謝する神殿だったんじゃないのかなあ、とか思ってるのだが、周囲が砂漠。砂漠に魚の神。ちょっとイメージがつきにくい。遺跡に登れば海が見えるらしいのだが…

というわけで、よくわかんないので行ってみることにした(笑

や、だいたいね、その場所に行って感じるものが正解なんだって。行かないとわかんない空気とかあるからね。
というわけでリマは遺跡見て博物館めぐりしてこようと思います。わくわくてかてか。

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