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zoom RSS ジョルジュ・デュメジルの三機能論と北欧神話

<<   作成日時 : 2013/06/28 00:10   >>

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デュメジルの三機能論というものがある。
簡単に言うと、インド・ヨーロッパ語族の神話の神々は、主要な三神が三つの機能を分け合う構造になっている、というものだ。

でも私はむかしっから、このデュメジルの説がしっくりこなかった。
そもそも神話って、人が生きている限りどんどん変わってくものじゃない。神様の性格なんてものも、生まれた土地を離れると変化していくよね? なんかね、印欧語族は共通の神様をずっと持ち歩いてるという前提に立っているみたいなのが気持ち悪かった。北欧神話の神々の役割は、必ずしも三つの機能にキレイに別れるわけじゃない。

デュメジルの「三機能論」は、要約すると以下のようになる。

 ・法的、呪的な力を司る主神 ーオーディン
 ・戦いの神 ートール
 ・豊穣多産の神 ーフレイ

しかし、この一見論理的な分類は、実際は見せかけだけのものだ。

「アルヴィースの歌」では知恵を見せ、ただやみくもに戦うだけではないことを示したトールが単純な戦いの神とは。豊穣神とは言われつつ、剣を手に巨人と戦う神でもあるフレイが豊穣多産の神でしかないとは。明確に戦いの神と呼ばれているチュールが「戦いのシーンが残っていない」という理由で戦いの神ではなく司法の神に分類されたり、わけがわからない。

北欧神話の神々の「属性」は、このようにキレイに別れるものではない。

オーディンは主神だが、法的・呪的な力を司るのがメインではなかった。オーディンは人間の運命を左右し、気まぐれに勝利を与え、また殺しもする、人間世界にとっては混沌の源でもある。ルーンを操りはするが、呪的な力を司るわけではなく、それはむしろ女神たちの役目になっている。法的な側面については、チュールやフォルセティ、息子のバルドルといった別の神々がメインになっており、人間世界の法律に関しても、オーディンは後見人にはなっていない。

変身しているとき以外は老人の姿で現れるオーディンは、支配者層にとっての「祖先」扱い、一族の長(知恵者)のような扱いだったと見なすべきではなかろうか。それに戦局を左右するため、しばしば戦場に現れる「戦いの神」でもある。また、ドイツの古い伝承ではオーディンが豊穣神という扱いなのも、デュメジルの論調だと「跡から付け足された属性」ということになってしまうのだろうが、切り捨ててはいけない要素だと思う。

トールについても同様で、巨人殺しの「戦いの神」であるとともに、彼は雷鳴=雨を象徴する存在だ。雨は穀物の実りをもたらす。すなわち豊穣神の属性を強く持っている。飼っているヤギは生殖・多産の象徴でもある。

フレイは、豊穣の神といわれるが、オーディンの玉座に座って世界を見渡したという詩がエッダの中に残されており、その席に座る資格を持っているのなら主神たりうるということではないかと思う。また、神々と巨人の最後の戦闘においては、オーディン・トールと並んでその最期が語られる主力戦闘員でもある。

つまり神々は、専門特化ではなく、三つの機能を少しずつ、一柱で包括しているのではないかと言いたい。

しかしそれは当然の話で、ヴァイキングたちの信仰は、自分の「守護神」を定めて、何かあったときはその神に祈るというやり方だった。一番人気だったのはトールだが、そのトールが戦いしかサポートしてくれなかったら、ヴァイキングたちはどうやって農場を経営すればいいのかという話である。

そう、ヴァイキングは、何も海の上だけで生活していたわけではない。
船を作り、徒党を組んで冒険に出られたのは、ある程度の財を成した地位のある者だけである。そして基本的に、そうした人々は農場の経営者だった。

*サガ用語辞典の「農民」の項を参照

「耕す者と戦う者は同一である」というヴァイキング時代の社会状態に従えば、神々だけが「戦いの神」「豊穣の神」などと別れるはずもなく、両方兼ね合わせるほうが自然だったということだ。

ついでに言えば、ヴァイキングの社会に専業祭司は存在しない。各農場の農場主=世帯主が司祭の役割を担い、一族の守り神としての神に捧げ物をし、祭祀の一切を取り仕切っていた。



と、いうわけで、デュメジルの本を読んでいると、なんかイロイロと前提が違ってるよなあ… という気持ちになってくる。

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そもそも、インド=ヨーロッパ語族、で一纏めにして、インドの神話と、ギリシャ神話と、北欧神話とを一緒くたに比較しているのが間違いではなかろうか。言語的に親戚関係だからって、神話が親戚関係とは限らんだろう。というか逆に、語族的に何の関係もない日本の神話が、インドの神話と構造が同じな部分もあったりするから…。それって単に最も汎用的な形なだけじゃね? とか思う。

三機能にしても、ある程度の規模と文化水準を持つ集団の神話って、ぶっちゃけどこも似たような構造にならざるを得ない汎用的なパターンなんじゃないかと。
支配者層(王・司祭など)の象徴である「法」や「呪術」と、他の集団から自分たちを守るための「戦い」と、食べるために必要な「豊穣」、それはどこの文化圏でも最低限必要とされる要素ではなかろうか。ただ、その三つの機能を主要な三神だけで振り分ける必要もなければ、一柱で一つの役割だけ担う必要もないし、場合によっては主要神として四柱目がいても問題ない。



…というようなことは、専門家も同じことは考えているらしい。
各神様の見た目上の役割と本質は違う、北欧神話の神々は三機能論には当てはまらない、と述べている本がある。前後がだいぶ長いのではしょってオーディンのところだけ抜き出すと、こんなかんじ。

なんども述べてきたように、おそらくオージンは古スカンジナヴィア人の心性を、もっと正確にいうとヴァイキングの心性を、あますところなく表現するものだった。かれが船荷の神でもあったことはくりかえすまでもないであろう。つまり、ラテン文化に通じている観察者たちが、かれをマーキュリーと同一視したのにはそれなりの理由があるのであって、2つの神のあいだにはかなりの類似性がみられる。デュメジルによる神性の三機能に沿って二つの神を見てみよう。第一の法的・呪術的な機能については、私の考えでは、これをオージンが支配していたとすることはできない。その機能を行使しようにもかれには法的側面が欠けているし、またすでにみたように、その側面はチュールに属しているからである。第二の戦士的な機能について。これがかれにあてはまらないことは、さきほど示したとおりである。かれは戦士というよりむしろ策略家だからである。第三の豊穣多産の機能については、これは副次的なものにみえるかもしれないが、じつはそうではない。なぜならかれは諸王家の始祖とされており、かれのなかに多産の保証者を見いだすことができるからである。反対に、かれにはまごうかたなき秘儀的な側面がある。かれは知恵の神、呪文の神なのである。北欧の社会は小さなものでしかなく、冒険以外による征服が望まれていたに違いない。そこでは、オージンが重要な位置を占めないわけがないのである。ワーグナーは数々の紛れもない誤りを犯したが、そのひとつは、オージンを戦いの神としたことだった。

ーヴァイキングの暮らしと文化 白水社


この本の述べるところによると、オーディンは主要な役割として「交易の神(船荷の神)」であったという。

ヴァイキングたちは、必ずしも戦って荒らして奪うばかりだったわけではない。遠方への航海のメインは「交易」である。ヴァイキングの墓から剣と天秤が見つかる、なんていうのは珍しくもない。奪うこともあれば、交渉によって得ることもあった。そのどちらもヴァイキング行為であり、オーディンの守護するところだった。ならばオーディンは商売神なのである。

オーディンが老獪な知恵者でありながら戦いの守護者でもあったのは、実際のヴァイキング行には、交渉によって富を得るためにたくみな知恵が必要だったことと、行く先々で戦闘の起こりえる可能性があったことの両側面を表しているということになる。

まあ、神話ってのは、それを語り、作った人々の生活を見ないと理解できないと思うんよね。
デュメジルは机上で論を組み立てすぎた感がある。実際のヴァイキングの暮らしぶりが神々の性格にも反映されているわけなので、単純に文章として残されている神話のパーツを分析するだけでは、書かれていない行間の前提条件なんかが見えてこないんだと思う。

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