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zoom RSS 書に触れて心が震えるという感覚 ―本は芸術か、あくまでも本か

<<   作成日時 : 2013/02/08 00:10   >>

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稀覯書を巡る殺人や事件をテーマとした歴史ミステリやサスペンスには、事欠かない。
たとえばジョン・ダニングの「死の蔵書」とか。

死の蔵書 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
早川書房
ジョン ダニング

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先日紹介した「古書の来歴」とか。

古書の来歴 (上巻) (RHブックス・プラス)
武田ランダムハウスジャパン
ジェラルディン・ブルックス

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直筆原稿を巡るものだとアルトゥーロ・ペレス・レベルテの「呪いのデュマ倶楽部」とか。

呪のデュマ倶楽部
集英社
アルトゥーロ・ペレス・レべルテ

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ある本が本来の販売額よりも遥かに高い価値を持ち、多くの人々の関心を惹きつけ、それを巡って殺人さえも起きうる状況というのは、量産品のペーパーバックや、一時的なブームに乗っかって消費されるタレントの暴露本やエッセイ集では決してあり得ない。それは、部数が少なかったり、マニアにとって垂涎ものでありながら再販されなかったり、著しく古かったり、本の中に謎が秘められていたり、特別に美しかったり、あるいは、これら複数の条件に合致する本に限られる現象だ。人を物欲の狂気に駆り立てる本の魅力とはいかに。

しかし結局のところ、珍しいモノを巡る殺人は、貴金属や希少の宝石で古今東西繰り広げられてきたものと本質的には同じだ。希少な本を欲するのも、希少な宝石を欲するのも結局は同じ事。では本とはモノなのか。貴金属や宝石と同じ扱いなのか。

そうではない、と私は思う。そうではないからこそ、「稀覯本を巡るミステリーやサスペンス」には他にはない面白さがあるのだ。稀覯本を欲しがるのは、まず他でもない愛書家という奴である。愛書家とは単に価値のある本を収蔵する人種のことではない。何よりもまず本を読むことが好きでなければ、本に価値を認めることはない。あるいは本補読むことが好きでなくとも、その本の中身を理解している人々が舞台上に揃わなければ、物語は始まらない。

稀覯本がテーマとなるとき、その舞台上には、おのずと一定数の”同業者”――本にまつわる世界に属する者たち――愛書家、研究者、業者――が雁首を揃えるわけである。

してみれば、実に狭い世界で事件が起きることになる。
金や宝石なら換金は容易だし、誰にでも簡単に価値がわかる。しかし稀覯本となれば、換金は難しいし、多くの場合、一般人にとっては無価値なのだ。


これら稀覯本にまつわる物語を読んでいてよく出てくる表現が、「本を手にして(あるいは目にして)心が震える」というものである。一体誰が、虫食いだらけの革表紙の本を手にして興奮で眠れなくなるだろうか。かすれたインクで何やら書かれているだけの古い羊皮紙の束に大金を払うだろうか。「ケルズの書」のような美しく装飾され、芸術性の高い本ならいざしらず。

この感覚は、実を言うと私にも、よく分からない。
古い本を見て感動したことが、あまりない―― だが、その理由に、つい最近になって気がついた。

 大半の古い本は 私には読めない

そう、読めないのだ。
オックスフォードで見た古い写本、大航海時代の航海日誌、ダ・ヴィンチの直筆… いろんな場所で、たぶん歴史的価値が非常に高いとおもわれる本を見た。オスマン時代の装飾されたコーランなど、芸術的価値の高そうな目にも艶やかなものも見た。けれどどれ一つ、心が震えるとまではいかなかった。

そして、ついこの間、「王の書」<シャーナーメ>の美しい写本を見に行った。

かつて見た時は特に何も感じなかったものが、今回ばかりは引き込まれる何かがあった。その時にフト思ったのだ、自分はあらすじを思い出して、開かれている場面がどこなのかを思い出そうとしていると。

以前見た時には、王の書のタイトルしか知らなかった。しかし今は、抄訳でだいたいのストーリーを知っている。内容がわかる。

確かに、古代エジプトのパピルス文書なら、見つめていると何か感じるものがあるのだ。
読めるわけではない――が、よくよく見ているとわかる単語があり、挿絵で場面もわかるから、だいたいの意味は理解できる。エジプトの彩色された巻物限定であれば、「手にしたとき、心が震える」感覚も味わえる気がする。

稀覯本を手にして「心が震える」人々は、それを理解する知識を持ち、本を本として扱える(すなわち"読める")人々なのである。

金や宝石を巡る物欲との違いも、そこにある。絵画と違って本は、単に美しいからと大金を払うものではない。たとえ芸術的な美しさをもっていても、本を「本」として扱える知識がなければ、欲望を抱きようがないのだ。
だから、稀覯本をめぐるミステリーに登場する人々は、本の内容と価値を理解できる一握りの人間が中心となる。最初から犯人の候補は絞られているし、動機もほぼバレバレである。しかしそれでも、「稀覯本を巡るミステリーやサスペンス」が面白いのは、本の中身を巡り知的な言及がされてゆくからだと思う。

もしも私が本を巡るミステリーに関わるとしたら…

そうだなあ、現存していないマネトーの「エジプト誌」とかがほぼ完全な形で発見されました、とか言われたらちょっと殺人も考えるかもしれないな! あるいは情報の少ない古王国時代あたりの王様の碑文(石の塊だが…)でも可。うんまぁエジプトの場合は資料文書が「本」じゃなくて「巻物」か「岩の塊」(時代によっては粘土板)っていうのがな。

愛書家は、たいてい一つくらいは、「これが手に入るなら大枚はたいてもいい」とか、「これを燃やそうとするヤツがいたら殺してやる」とか思える書物があるものです。つまりシチュエーションは限定されるが限りなく危険な殺人者予備軍でもある、という結論に…アレ。

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