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zoom RSS 「彩文詞集」―打ち捨てられた言葉たちの行く先は

<<   作成日時 : 2013/01/22 00:09   >>

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大昔に参加していたネット上の文芸サークルのメンバーが、「かつて公開していた短編が見知らぬ人のメルマガに使われている」と憤慨していた。

その人の短篇集テキストサイトは閉鎖して久しいという。しかし当時保存されたものか、検索エンジンのキャッシュに残っていたものか、取下げられて何年も経ってからほぼ原型のまま再利用されて出まわっているというのだ。


イラストにしろ、文章にしろ、多少改変されていても作った本人にはわかる。私もとある北欧文学の集まりで配られていた参考文献一覧が自分の作成したものそのまんまでヨーグルト吹いたことが在るから、思いがけないところで自分の著作物と出会う気持ちはよく分かる。

が、Webに公開した「小説」の再利用についてなら、私はそこまで厳しくいうつもりはない。
営利目的のメルマガなら殴り込みかけてもいいと思うが、無料で、作者不詳の作品として扱われてるんなら別にいいじゃん? と思う。作者名が別人にされるのは許せないが。

うちのサイトがサイト内の文章の丸パクをするなとしつこく言っているのは、学問系の話が多いからだ。
内容に誤りがある場合があり、何年かしてから書きなおしていることも多いからだ。また自分の個人的な考えで書かれている部分も多い。敢えて有力な学説を無視していることもあれば、本職の学者の説に真っ向から批判を加えていることもあるのは御存知の通り。よそで使われても責任は持てない。

でも小説なんて…

小説や随筆ならなあ…

読まれてなんぼ、再利用されるってことはそれだけ価値を認められたってことでしょ…。


現在に残る古書の類には、作者不明のものが少なくない。古い時代ほどそうだ。北欧神話の集大成「詩のエッダ」に収められた詩歌なんて、書かれた時代も、使われている単語もバラバラで、一つとして来歴は明らかではない。でも時を越えて、誰かの詠んだ歌が現代に残っているわけだ。

物語ってのは、人の手を経て作られていく部分もあると思うんだよね。
常に改良されるとは限らず、言い部分がバッサリ落とされて改悪されることも多いわけだけど、「読む人」が途切れれば、物語も言葉も、その時点で死んでしまう。

紙の本は100年ももたない。Web上の電子データにしたって、個人の書いてるWeb小説やブログの文章なんて10年も生きてれば長い方。何年も前に閉鎖したテキストサイトの文章を心にとめて、今も語り継いでしかも拡散までしてくれているなんて、メルマガの発行元は作者の味方だと思うんだが。(まあ、とはいえ、著者が存命なうちに無断で改変して使うのはどうかと思うけどね)


そんなことをフト考えていて、そういや自分も昔のテキストサイトも1つ閉鎖したな、と思いだした。
HDDの底のほうを漁ると、当時の文章も多少残っていた。今読むと読むに耐えないものもけっこうあるが、それなりに面白いものもあり、どうせならWeb上に再放流してみようかと思いたった。

そんなわけで、過去の文章については、閉鎖したテキストサイトのサイト名にちなんで「彩文詞集」とタイトルにつけて公開していく。随筆、ショート・ストーリー、詩っぽいものなど、たぶんごたまぜ。ダイヤルアップ接続時代の、そしてテキストサイト全盛期時代の「言葉だけでビジターを集める」文化の名残を、お楽しみ下さい。

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ちなみに、そのテキストサイトと同時代に作ってたサイトの名残が、本館にある以下のあたり。
「ものを書く者とは、本を読むものの成れの果てである」とは良く言ったものだ。


七つの色物語
土曜日の「梔子色」が今でもけっこう好き。

BGMつき短編シリーズ
大学の時に一時的に所属してた文芸部の文集用に書いたやつなので、たぶん出身大学の文芸部の過去本のどっかにコレ入ってる(笑

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