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zoom RSS 全ての物語が、ハッピーエンドで終わるものではないと知ったのは、いつの頃だったか

<<   作成日時 : 2013/01/12 00:10   >>

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ずっと昔、中学生くらいのときだっただろうか、どういうわけか世界の名作シリーズを片っ端から読んだことがある。
「車輪の下」「大地」「赤と黒」…あたりは、面白かったし意味も分かった。
「コーカサスのとりこ」…は、若干トラウマになったがまぁ面白かった。

どうしても意味が分からなかった、もっと言うと主人公の行動に嫌悪感を抱いたもの、結末に納得がいかなかったものが三作品だけある。

「若きウェルテルの悩み」
「アンナ・カレーニナ」

そして
「レ・ミゼラブル」。


どれも主人公が最後に死ぬ話で、全体的に暗いイメージを持つ作品というのが共通している。
しかし、あの頃の自分は、この三つとも、主人公が悲惨な死に方をするバッドエンドの物語だと思っていたのだ。「レ・ミゼラブル」の主人公ジャン・バルジャンが実は満たされて、救われて死んでいったことに気がついたのは、ずっと後になってからだった。

ウェルテルとアンナはともかくとして、どうしてレ・ミゼラブルも同じバッドエンドの物語だと思ったのか…

はじめてレ・ミゼラブルを読んだ当時の自分に、物語の背景となるフランス革命や、何よりキリスト教の考え方について全く素養がなかったというのが大きいだろう。魂の救済、贖罪といった概念が無かった当時の自分には、主人公が「市長」という成功した地位を捨てて罪人として追われる生活に戻っていった意味が理解できなかった。また宿敵ジャヴェールを楽に亡き者にできる機会がありながら、敢えて見逃した理由も分からなかった。

あの頃の自分にとっては、現世での成功だけがハッピーエンドの条件であり、ジャン・バルジャンは、邪魔者を排除して市長として町にとどまり、生涯を閉じるべきだったのである。


こんど映画になるというので改めて最初からストーリーを追い直してみたが、長い年月を経て再び触れた「レ・ミゼラブル」は、確かに自分の記憶の中にある物語のまま、しかしそれを解釈する自分のほうが変わったことを実感させられた。

思っていた以上に細部はよく覚えていて、コゼットがもらう大きな人形のこと、ジャヴェールから逃げるためにロープで塀を登ったこと、落としたハンカチ、弾拾いの少年の死、ラストシーンの枕元の銀の燭台も、ストーリーとともに印象に残ったシーンが蘇ってきた。確かに自分はかつて物語を最後まで読んだ、情景も頭に入っていた、なのにそのシーンを理解することが出来なかった。

本に書かれた情報は変わらない。
変わるのは、情報を受取り、解釈する人間のほうである。

歴史を知り、人の世界を知り、登場人物たちが信じた未来と希望と絶望をある程度まで共有できるようになった今、主人公が選んだ道も、生き方も分かる。もし自分がジャン・バルジャンだったとしても、きっと今なら同じ選択をする。罪は償われなければならない。無実の人間に罪を着せて今日は生き延びても、いつか報いを受ける。ジャヴェールを殺せば自分の魂が死んでしまう。

完全なハッピーエンドではないかもしれないが、物語の中で主人公は明日のために戦い、満足して死んでいった。絶望的だが、救いはある物語なのだ。




そんなわけで、受け入れがたかった三つの物語のうちの一つとは、年月を経て誤解も溶けようやく和解することが出来た。

しかし残る二つについては、特にウェルテルとは、和解できる気がしない。っていうか好きな子にうまく告白できずにストーカーと化した挙句にあてつけ自殺とかアリエネェ。彼を理解するには、私が別の人間にならなくてはいけない気がする。

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