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zoom RSS 古代エジプト/ヌビア独立と金 エジプト統治時代と独立後の金の流れ

<<   作成日時 : 2012/05/12 00:10   >>

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以前のエントリ 黄金の産地と初期エジプト王朝の発展について に付随する話。ツタンカーメンの豪華絢爛な副葬品のイメージに代表されるように、古代エジプトといえば黄金が豊富ということになっている。

ただし金鉱があるのはナイル上流の「上エジプト」に限られた。エジプト統一の機運が上エジプトから高まっていくのは、豊富な金を有するが故ではなかったのか、というのが前回のエントリ内容。


古代エジプトのみならず、人類史上その希少性および耐久性において最も好まれた奢侈品(しゃしひん)は金であった。古代オリエント世界では、各国の金の保有量がその力関係を反映していたとさえ言えよう。たとえば新王国時代、エジプトと東地中海沿岸属州およびメソポタミア諸国との贈与交換・政治交渉を記した史料であるアマルナ書簡には、それらの国々がヌビアの金を保有するエジプトに対して金を懇願する様子が描かれている。またカルナック神殿にあるトトメス3世の歳入リストからは、特にヌビア(下ヌビアはワワト、上ヌビアはクシュと呼ばれている)から大量の金がエジプトにもたらされていたことがわかる。

古代エジプト文化の形成と拡散/ミネルヴァ書房



王朝時代を通して、エジプトは金鉱のあるヌビアを支配下に置き続けることで王権を確かなものとし、同盟国を従えてきた。その量は、一年間に数百キロを越えた。

下記は、史料に残っているだけの量である。トトメス3世は第18王朝の王様。治世年はその王様が即位してからの年月だ。(ちなみにトトメス3世は50年以上王位にあったとされる長命なファラオのひとり) 「デベン」は古代エジプトでの重さの単位で、現代の単位との対応表はいちおうこちらにあるが、取り敢えずは右端の現代換算だけ見ればわかる。

画像


何かにつけて数字を「盛る」傾向にある古代エジプト人だが、さすがに簿記に関しては正確だった。金勘定についての記録は信ぴょう性がある。これだけの金を人件費も輸送費もほぼタダで国内で生産出来たことを考えれば、古代エジプトのファラオたちの墓からあれほどの財宝が出てきたことも不思議ではないだろう。



さて、金は、現代における石油と同じように、古代世界において権力・国力に直結する資源だった。
とすれば、エジプト王国が金の採れる地方を支配する力がなくなった時代にはどうなるか。

ヌビア地方は、エジプトにとっては半分異国である。いわば属州のような位置づけ。
軍を送り込んで支配しているわけだが、王権が弱まり、軍を送り込めなくなると、ヌビアは独立してしまう。
当たり前だが、金が入ってこなくなれば、それだけ国力は衰える。そして、エジプトに恵みをもたらしていた金は、今度はヌビア自身を潤すことになる。

第二十五王朝のヌビア独立は、それまでのエジプト支配下で文化を吸収していたという下地に加え、自国内で生産される金を自国で消費できる環境になったことが大きいのではないか、と学者たちは見ているようだ。文化だけでは国は成り立たない。資源の後押しがあってはじめて、ヌビアはエジプトをも支配下に置く「大国」になれた。

たとえそれが一時のことであったとしても、数千年搾取される立場にあった国が、搾取側を支配下においたというのは、やはり大事件だったと思う。


金の産地を支配下に置いたことでエジプトは栄え、金の産地が独立すると今度はその産地が栄えた。
では金の尽きた今、産地であったヌビアはどうなっているのか?

金は古代世界において、国力に直結する資源だった。しかしそれはあくまで「古代世界」での話。金鉱がなくてもローマは栄えた。そういうことだ。金があればよいというものではなく、金があれば逆に無い大国から蹂躙されることさえあったのが、古代を抜けたあとの時代である。

また金は、初期の発展には役立ったかもしれないが、それだけでは国力を持続することは出来無い。金は現代の石油のようなものだと言った。金も石油も、いつかは尽きる有限の天然資源だ。資源が尽きれば人は去り、集落は衰え、他国から何かを輸入することもできなくなる。

エジプトとヌビアの金をめぐる関係、そして金が枯れたあとのヌビアの運命は、国の繁栄を資源だけに頼ってはいけない、そういう教訓でもあるのではないかと思う。







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