現在位置を確認します。

アクセスカウンタ

zoom RSS 次の世代がこの先生き残るために。「文明崩壊」に示唆されるもの

<<   作成日時 : 2012/03/10 00:10   >>

トラックバック 0 / コメント 0

とりあえず読了。前作ほどのインパクトはなかったにしろ示唆に富む上下巻だった。

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)
草思社
ジャレド・ダイアモンド

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


上巻を読んだ時に、人類が文明を維持して生きてゆくのがイージーモードになるかハードモードになるかは住み着く土地の環境による、「マップ(居住地)選びが重要」ということを書いた。マップ選び次第では、やすやすと大人数を抱えあっというまに文明を築けるが、維持するのは難しく失敗すると一瞬で滅亡する。はたまた最初から厳しく極限状態を強いられるが、それゆえに環境に気を配り、成功すれば文明を長続きさせることが出来る。

あらゆる土地に、その土地に生きられる人間の上限がある。

これは絶対だ。その土地で生産できる持続可能な食料や生活品生産の量がそれを決める。現代では世界中から必要なものを輸入することによって土地がもつ限界を突破することが出来るが、どこかから奪うぶん、どこかの限界量を減らしていることには違いない。

衰退してきた古代文明の多くは、気候変動や不適切な土地利用、または不用意に人口を増やしすぎたことによって、土地の持つ生存限界量を越えてしまったために社会が崩壊している。もともと限界量を越えており、植民地や交易相手から足りないぶんを輸入していたために、その植民地や交易相手と連動して衰退していった文明も少なくない。これは今の日本にも、そして世界中のありとあらゆる国に対して言えることだ。

本の結論部分をやや乱暴に要約すると、こうなる。


過去の文明は、文明を維持できる限界を越えた時 単独で衰退してきた。

しかし今は世界全体が繋がった一つの経済をつくっているため、次に訪れる「文明崩壊」の危機は世界全体に及ぶだろう。



自給自足できている国はない。狭い文化圏でごくごく限られた集落だけなら他との交易なくして生存できるかもしれないが、しかしそれは明らかな文明の衰退である。インカ帝国の帝都が「村」レベルに衰退するのと同レベルの生き残り方に過ぎない。



結局のところ、文明が存続できるか、滅びて/衰退してしまうのかは、それぞれの文明のおかれた独自の環境を適切にコントロール出来るか否かにかかっているということだ。

古代人が現代人ほど環境を破壊しなかったなんていうのは幻想で、今も昔も人類のやつてることは対してかわらない。イギリスのストーンヘンジのあったあたりは元は森だったが、人類が移住して切り開いたせいで、今も木のないうっすらとした牧草地だけが広がる土地になっている。

メソポタミアなんかも、都市作るのに上流の木を切りすぎたせいで洪水が多発して、下流の町が流されたりしている。

現代人は、過去の失敗をたくさん学ぶことができるから、森林伐採や鉱物の取り出しで環境が汚染されることを知っている。しかし古代人はそんなことは知らない。江戸時代の日本人が編み出した徹底した植林と伐採の管理が「特異な成功例」扱いされるのは著者が日本ヨイショだからではない。失敗してきた例のほうがはるかに多いからだ。
考古学者がときどき頑固に古代人の環境破壊を認めない、というのは、確かにその通りだと思う。



イースター島でモアイ像を作るためにヤシの木が根こそぎ切り倒されたことについて、「なぜ住人は、森が消えてゆくことに不安を覚えなかったのか」という話がある。そのいくつかの仮説が本の中に出てきた。

まず森林破壊は何百年か、何世代かをかけて行われたこと。そのため、かつて島全体が緑に覆われていたことを覚えている人がおらず、自分の生きているうちに減った森の面積は「微々たるもの」だと思い込んでいたのではないかということ。

もう一つは、イースター島はいくつもの氏族が別れて暮らしており、敵対する氏族の土地のことは知らなかった、つまり島全体を見渡せる視点をもつ人がいなかったのではないかということだ。


かつて大規模な森林破壊で危機に陥りながら立ち直った国として日本の例が挙げられていたが、日本の場合、森林破壊が急速に進んだため1世代内で明らかに緑が減っていくのが分かったことや、当時の日本は政治的に統一され安定期に入っており、将軍の号令で森林伐採を全国的にコントロールすることが可能だったというのが大きい。
当時鎖国を行なっていたためイースター島同様に孤立した島国であり、これまたイースター島同様に高い人口密度を擁し、モアイ像のかわりに木造建築で大量の木材を消費していながら、日本が栄え続けイースター島の文明が崩壊した、ここが運命の分かれ道だったのだという。



この例によらず、生き残ってきた文明と、崩壊してしまった文明を分ける条件はいくつもある。
だが基本に、環境のコントロールに成功したかどうかが関わっているのは変わらない。


厄介なのは、その土地その環境によって適切な対応が異なること、ある土地では成功した方法が、別の土地では必ずしも成功しないということだ。たとえば、イギリスで飼われていた羊をそのままオーストラリアに持ち込んでも、土地を疲弊させるばかりで非効率的だ。「何かをすればそれでいい」と決まっているわけではない。何が適切なのか、まずはそれを学ぶことが必要なのだろう。

それが、現在のこの「文明」、今や古代人とは比べ物にならないほど広い範囲で繋がりあったグローバルな文明の連鎖を生きる我々が生き残れるかどうかの「分かれ道」になるだろう。

まあ、最後は私の嫌いなグローバル理論にならざるを得ないのだな…。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

次の世代がこの先生き残るために。「文明崩壊」に示唆されるもの 現在位置を確認します。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる