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zoom RSS 吉村作治 というエジプト学者の正体/幻想の終焉

<<   作成日時 : 2009/08/03 00:10   >>

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8月といえば学生にとっては夏休み真っ盛り。かつてインターネットがまだ無かった頃、夏休みの小中学生は宿題なんてそっちのけでテレビの二時間スペシャルに釘付けとなり、近所の友達や家族と話題に載せるだけで、UFO特番も超能力も無邪気に信じていたものだ。かつての私がそうだった。吉村作治と出会ったのも、その頃のこと。もともと遺跡好きだった私は、ピラミッド特番は欠かさず見ていたような気がする。(※1)

時は変わり、現在。

番組が放映されるや否やネット上で情報交換がなされ、胡散臭い番組は即座に化けの皮を剥がされて叩きのめされる時代である。インターネット上に最新の研究が発表され、素人でも、探せば海外の一流学者の論文が読めてしまう。
そうなると、かつてエジプト学の権威と持て囃され、エジプト特番では引っ張りだこ、テレビに出ずっぱりだった有名人、吉村作治―― その饒舌に多くの嘘が紛れ込んでいること、実は世界的にみれば一流でもなんでもないことが知れるまでに、大した時間はかからなかった。テレビが作り上げた立派な学者のキャラクターは、幻影に過ぎなかったのだ。


私が吉村作治を嫌いなのは過去のエントリで散々書いてしまったのだが、ここは個人的な好き嫌いは差し引いて言いたい。自分の好きなジャンルにおいて、絶大なアピール力を持つ人物の言うことが、適当だったり情報が古すぎたり、嘘八百を垂れ流されれば、「マニア」以外の多くの人たちに、エジプトはそういうものなんだという誤解が広まってしまう。そして、かりそめであっても「権威」と宣伝された人物のいうことであれば、大抵の人は頭から信じ込んでしまい、後から訂正しようとしても難しいことがある。広まったままの誤解がその後ずっと訂正されないままになる可能性が高いのだ。危機感を覚えるのは当然だろう。

だが、単なるペテン師では社会的地位を獲得するのは無理だ。
吉村氏は、確かに評価される部分を持っていた。ただしそれは、考古学者としての評価ではない。

そもそもの勘違いは、この人が「学者として」一流、だと宣伝されたことにある。考古学者とは何か? デスクワークにしろフィールドワークにしろ、調査研究を行い、成果を上げれば論文を書いて後続の為に記録を残す人のことではないのか。吉村作治が一流なのは、そのような学者としての腕ではない。交渉・広報役としての腕だ。


 発掘コンサルとしては一流だが

 考古学者としては三流



これが、私の目に見える吉村作治の実態である。

「三流」が手厳しすぎると思うなら二流でもいいが、一流ではないことは確かだ。この人の書いた本はうんざりするような勘違いが山ほど出てくるし、公演で椅子から転がり落ちそうな間違いを堂々と語ったりする。ヒエログリフが読めるのかどうかも怪しい。本来裏方であるべき人なのである。そんな人を一流学者だと言って持ち上げてしまったこと、本人も自己顕示欲が強く分不相応に露出したがったことが、日本の古代文明・エジプトファンにとっての不幸の始まりだったと言えるだろう。



エジプトという異国で発掘するには、当然ながらエジプトの許可がいる。それがエジプト考古庁、現在はザヒ・ハワス博士が長官を務める組織である。発掘を始めるには、この組織と交渉し、許可を取り付けなくてはならない。許可を得るためには調査目的や期間や隊員名簿の提出と申請といった作業… 要するに他の様々な仕事でも必要とされる多くの文書を作成し、提出し、認可してもらうという手間と時間のかかる事務手続きが必要となる。手続きには時間がかかるし、遠方から交渉するよりカイロに滞在して直接交渉したほうが何かと都合いいだろう。他にも、発掘現場で手配する現地の発掘人や宿舎の手配、現地情報の仕入れなども請け負っている(いた?)らしい。

吉村作治を「発掘コンサルとしては一流」と言ったのは、まさにこのような役目からだ。
氏はエジプトと日本を頻繁に往復し、日本からは発掘費用を調達し、エジプトでは発掘許可をつつがなく取り付け、ザヒ・ハワス博士にも気に入られているらしい。その証拠にザヒ・ハワス博士は自分のサイトに吉村氏の写真を載せたり、名指しで「誠実な人物」と書いていたりする。もちろん社交辞令も含まれるのだろうが、吉村氏とザヒ氏の仲が良好であれば発掘許可はとりやすくなるわけで、実際に現場で発掘調査を行う考古学者からすれば重宝されるだろう。(※2)

ただし、それは考古学者として優秀なこととは関係ないし、むしろ学者としての活動はほとんどしていない。IT業界で喩えるなら、現場を知ってはいるが一線にいないITコンサルと、現場の第一線でガシガシやってるIT土方の違いに近いかもしれない。(※3)
吉村氏はコンサル業に勤しむあまり学者としては知識が微妙なのだが、本人がそれを自覚していない。そして発掘許可の下りるか否かが彼の手腕にかかっているため、また発掘にかかる莫大な費用をネームバリューで集めてきてくれるため、発掘申請をお願いしている学者さんたちは恐らくあまり強く言えないところがあるのだろう。

ちなみに吉村氏、まともな論文はほとんど書いていない。ほとんどというか、博士号獲得の時に書いた論文以外は、多分、紀要や内々で出してる報告書以外は見つからない。コンサル業に忙しくて論文なぞ書くヒマがなかったのかもしれない。(※4) もっとも、時間があったとしても、不確かなことを証拠もなしに断言しまくるクセがあっては、査読に耐えられるものが書けるとは思えないのだが…。



吉村氏があまり現場に出ていなかったことは、同じ隊で発掘していた方が証言している。

隊長の早稲田大学人間科学部吉村作治教授は、調査・研究から許可取得・資金調達まで、あらゆる関連事項の総括をするというきわめて多忙な役割を担う、調査全体の責任者である。一番偉いが、調査中にもカイロの考古庁事務局に出かけていって交渉するなど、雑務も多い。

<中略>

交渉ごとやら雑事やらで隊長不在のときでも、現場に張りついて全体をまとめる役割の人物が必要になる。発掘調査主任とよばれるこの役割を、第一、四、五、六次発掘調査の際には、早稲田大学文学部助手のちに非常勤の私がつとめ、第二次および第三次発掘の際には、早稲田大学古代エジプト調査室嘱託(現早稲田大学工学総合研究所客員講師)の長谷川奏さんがつとめた。

「古代エジプトを発掘する」高宮いづみ/岩波新書


この記述は吉村氏を貶めるものではないし、むしろ賞賛すべく書かれた部分でもあってこのような引用され方は不本意かもしれない。しかし事実を淡々と書いたがゆえに、吉村氏の第一の仕事は、現場に張りついて発掘を指揮することではなく、交渉など事務作業だったことを結果的に証言することになっている。(ちなみにこの部分を引用したのは、自分以外の人間に公に感謝を示すことを知らないらしい吉村氏が、自著の中で決して書こうとしなかった、本来ねぎらわれるべき現場の人たちを出したかったからでもある。)



と、いうわけで、吉村作治は考古学者としてはとても権威とは呼べない人なのだが、発掘コンサルと活動の宣伝係としての手腕は評価を得ている。発掘にたずさわる学者さんたちも、発掘許可の可否がこの人に握られているとあっては強く言いづらいところがあるのだろうと推測される。この人に渇を入れられる世代の人たちは既に多くが他界し、今の日本の考古学会で吉村作治に苦言を呈することの出来る人はいないかもしれない。

しかし、増長したノリノリの吉村氏には、早めに誰かがツッコミを入れなくてはならなかったのだ。
過去にこのブログのエントリで出したように、視聴率稼ぎのデタラメなバラエティーで「ピラミッドは墓ではない!」と根拠もなく叫び、「ツタンカーメンは暗殺されたんですよ!」と言って犯人探しに興じた。(※5)
5年前なら、多少不自然なところがあっても「権威様の言うことだし」と納得されてバレなかったかもしれないが、もはやそんな時代ではない。「胡散臭い番組は即座に化けの皮を剥がされて叩きのめされる時代」、なのである。

私は、考古学業界とは何の関係もない。大学の専攻ですらなかった。だから吉村氏にケチをつけて発掘が出来なくなる立場にはいない。ただの物好きが個人的に適当にやっているだけなら、自分の発言の責任が及ぶ範囲は基本的に自分だけだ。だから幾らでも言いたいことが言える。ツッコミを入れることが自分の役目とは思わないが、自由に発言できる立場にあるのだから言えばいい。

 
 吉村作治はデタラメなエジプト学を広める癌になってしまった。


この人がテレビや著書で適当な話を吹聴しまくったせいで、誤解したままの人が沢山いるのである。これではまともな考古学ファンが育たない。彼の業績のすべてを否定はしない。だが、今や癌と化したご老体は、業績以上に悪影響が大きい。
ここで幻想に終止符を打ちたい。今後、吉村作治を全面に押し出したエジプト特番を作らせたくない。作ってもいいが、そこであからさまな間違いを撒き散らされたくない。既に広まってしまった多くの誤解は、これから何年かけてでも訂正されるべきだ。発掘コンサルは発掘コンサルの仕事をこなせばよい。考古学者にしても、自分個人が目立つ必要はない。

宣伝をしなければ興味をひけない? 金を集められない?
いい加減な仕事をすればそっぽを向かれるだけである。冒頭で言ったとおりだ。今や、いい加減な情報を流せば即座に誰かが反応し、反論する時代になった。無くした信頼を取り戻すには長い時間がかかる。「エジプト特番は大抵大げさで適当なことをやってる、オカルトと大して変わらない」「エジプトといえばピラミッドとツタンカーメンと呪い」… そんな評価がこびりつくくらいなら、宣伝などしなくてよろしい。

今、吉村氏は、テレビだけでなく自ら立ち上げたインターネット大学で授業をしている。授業内容は授業料を払った人しか見られないから、内容は確かめるべくもない。ツッコミを入れることも出来ない。今までの経緯からしても、活動内容からしても、吉村氏がまともなエジプト学を講義しているとは到底思えないのである。「学校」を通じてトンでもない誤解が広まっている可能性がある。―― 私はそれを危惧している。



長くなってしまったが、以上が前置きになる。

インターネット上を探しても良いまとめは見つからなかったので、吉村氏と早稲田発掘隊の経歴を自分でまとめた。決して楽な経歴は歩んできていない。初めてのエジプト調査、度重なる戦時下での活動、苦労したのだろうということは判る。ただし、そのぶんを大目に見ても、テレビや著書でいい加減な嘘を吹聴してよい理由にはならない。発掘を続けることだけが大切なのではない。

早稲田大によるエジプト発掘は、文学部美術史専攻のひとりの学生の提案から始まった。それが吉村作治氏。学生運動真っ盛りの時代である。相談を持ちかけられた中近東での発掘を考えていた故・川村喜一教授だった。その意味で、吉村氏は早稲田のエジプト発掘の歴史の担い手ではあるが、まず川村教授に敬意を払うべきなのである。


1966年、吉村氏をリーダーとする5人の学生と川村教授が石油タンカーに乗り込んで初めてエジプトへ。このとき吉村氏は現地女性と婚約している。そしてカイロと東京を往復して暮らすようになる。(要するに、大学で基礎の勉強をあんまりやらないまま、現地で発掘交渉をやるようになってしまった)

1967年、第三次中東戦争。別名「六日戦争」。エジプトは厳戒態勢に入る。

1970年、「早稲田大学古代エジプト調査委員会」が発足。エジプトとイスラエルの間で停戦協定。吉村氏は川村教授とともにカイロで発掘申請の交渉。

1971年、初めて日本の発掘隊がエジプト入りをいる。発掘許可の下りた場所はルクソール西岸、マルカタだった。

1973年、第四次中東戦争勃発。しかし発掘は続行される。

1974年 ルクソールのマルカタ南にある「魚の丘」遺跡において彩色階段が発見される。(第三次調査隊)

1978年、マルカタ王宮の発掘で隊長だった川村喜一教授が病により急逝。以降の発掘調査は渡辺教授などベテラン教授たちが引き継いでいくことになる。

1987年、アハマド・カドリ博士の要請により、ギザ大地、電磁波探知機による大ピラミッドの調査。たびたび吉村氏の著書に登場する「ハイテク機器によるピラミッド調査」とは、この時行われた調査のことだ。

1990年代前半。ちょうどエジプト特番がガンガン流され、子供の頃の私がテレビに映し出されたピラミッドに釘付けになっていた頃――そして、ピラミッド周辺からピラミッド建造者の集落や建設者の墓が次々と発見された頃。この時、ピラミッドに対する歴史観は大きく変わる。奴隷をムチ打たせて作ったのではない。労働者たちが自ら喜んで働いていたことが判明した。
吉村氏のテレビ出演が目立つようになったのは、このあたりから。霊能者とピラミッドの霊視に行くなど、番組の内容を問わず出演しまくっている。

1991年、アブ・シール南遺跡の発掘開始。ラメセス2世の息子カエムワセトの葬祭殿を発見。
(以降、アブ・シールほかダハシュール北でも発掘調査が行われている。)

1994年、ニセ大学(デュプロマミル)から金で学位を買う。教授になりたかったが、博士号もとっていないのではなれるわけがない、と言われたのが原因らしいが、本当の理由は本人が語っていないので不明。

1996年、ニセ博士号しかないのに教授になってしまう。

1999年、ようやく早稲田大学でまともな博士号を取得。(工学博士)

2006年、早稲田教授を退官してサイバー大学学長へ。

2008年、吉村作治先生の早大エジプト発掘40年展が開催される。発掘は個人の業績ではないにもかかわらず、そこには、早稲田発掘隊の歴史を私物化した、おぞましくも思い上がった姿しか見えなくなっていた。



…以上が、吉村氏の簡単な略歴である。離婚年は不明、あんまり意味のない情報と思われるので調べていない。某政党との絡みも省いた。小市民は友愛されたくないのです…(笑)  (※6)


今もエジプトでは、年々新しい発見が相次いでいる。
ただしその現場に、エラくなってしまった吉村氏の姿はない。

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※1
吉村氏の出ているテレビ番組が理由でエジプトにハマったわけではない
エジプトに本格的にハマったのは高校の図書室に寄贈も含めたエジプト関連の本がたくさん揃っていたからだ。やたらと歴史ネタの豊富なマニアックな図書室だった。

※2
ちなみにザヒ博士と吉村氏のエジプトに関する意見は全く会わない。二人の意見が違う場合は、ほぼ間違いなくザヒ博士のほうが無難なことを言っている。エジプトは現在、新しい巨大博物館の建造のために各国からODAを募っており、日本からも多額の金が動いている。金を出してもらっているぶん日本を優遇している、吉村氏を持ち上げている、という政治的事情はもちろん考慮すべきだと思う。世界的な知名度や業績でいえば、二人は決して同列ではない。

参考:
在エジプト日本大使館 ODA経済協力
http://www.eg.emb-japan.go.jp/j/birateral/oda/index.htm

大エジプト博物館建設計画
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/18/rls_0501a.html
↑総額700億円の建物なので、建設費用の半分近く日本が出してる

※3
ITコンサルとIT土方で想像しにくければ、既に現場を退いた部長クラスの上司が、現場でプログラミングについて講釈垂れだすシーンとかどうだろうか。いまどきgoto構文とか勘弁してください、オブジェクト指向言語バカにするのやめてください、みたいな。エラくなってしまった人は、大体現場で働くのに向きません。
この場合の現場=国際的なアカデミックの世界。

※4
論文を書く時間はなくても、一般むけの本を書く時間はあったり、訳本を監修したり、ブログ書いたり、CMに出たりする時間はあるらしい。広報と発掘費あつめもコンサルの仕事のうちと思えば正しいのだが。ちなみに本は大半がゴー○トライ○ーの仕業(というか学生に書かせてる)だと早稲田いった友達に聞いたけど実際どうなんスかね。

※5
ピラミッドは墓ではない! 説へのツッコミ
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/first_page.htm

ツタンカーメンのヤグルマギクに関するツッコミ
http://www.moonover.jp/bekkan/ooparts/8.htm

さらに↓このへんに黒歴史もまとめてます

マスコミに作られた偽の「権威」に終焉を。本気でそう願う日が訪れた
http://55096962.at.webry.info/200803/article_26.html

※6
吉村作治の早大40年展に行った人なら、入り口に花が飾ってあったので思い当たるところがあるハズ。あそこのサイトを漁ると、公演記録とか出てきます。政治の世界にも友人が多いようで、そこらへんも資金源になっているのかもね

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尚、ここの吉村氏の経歴年表は、主に吉村氏の恩師と弟子の著書から引っ張ってきた。
卒業年が載ってなかったのでそこは抜けてます…

>>つづき

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