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zoom RSS 「アーサー王伝説の起源 スキタイからキャメロットへ」の、ダメなところを解説してみる

<<   作成日時 : 2009/06/20 19:00   >>

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えー・・・・・・・ 過去に掲示板に話題降られたことがあるのを思い出したので、二回目の時のために真面目にやっておくことにした。

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この本の内容を、以下にザックリまとめる。


従来、アーサー王伝説の原型はケルト神話の要素を取り込みつつブリテン島で作られたとされてきた。しかしながらこの本では、ケルトより前にイラン系遊牧民族だったアラン人の伝承があったとする。

ジョルジュ・デュメジルの記録したアラン族の末裔、オセチア人の伝承はアーサー王伝説と似ている部分が沢山ある。と、いうことは、オセチア人の祖先たるアラン人がブリテン島やフランスのブルターニュ(どちらもアーサー王伝説に関わる土地だ)に定住するにあたり現地で伝承が伝えられ、彼らの伝説を中核として歴史上の人物や歴史的な出来事が物語として色づけされ、アーサー王伝説となった。


この本のいう「アーサー王伝説」とは、騎士文学として確立したのちのアーサー王伝説であり、それ以前のほとんど記録の無い(口伝だった時代の)アーサー王伝説ではない。

また、ケルトの影響もあったことは認めている―ー が、アーサー王伝説の中核は、あくまでアラン人の伝説であった、とする。


―Myまとめ@岡沢




―ーさて。
この論旨の致命的な欠陥が何処にあるかというと。


■比較する時代が離れすぎている

A.
アラン人(アラニ人)がアーサー王伝説にゆかりの土地に定住したのは5世紀。
ヴァンダル人と行動を共にしてアフリカいったり、ゴート族と組んでローマの領地荒らしたり、逆にローマの傭兵になったりしてた時代だ。

B.
騎士文学としてのアーサー王伝説の成立は12世紀以降。
クレティアン・ド・トロワ、マリー・ド・フランスなどの活躍した時代から。

C.
そして、ジョルジュ・デュメジルは… 20世紀の人。
ナルト神話の研究は19世紀から続いてるらしいが、まあどっちにしてもここ最近。


よしんば定住したアラン族の伝承がブリテン島やブルターニュに根付いたとして、700年後まで原型を保てるとは到底思えない。5世紀って民族大移動の時代だぞ。王国が出来たり潰れたり、民族の1つ2つ滅びるのは当たり前の激動の時代を、口伝が変わらず越えられるだろうか。「インド=ヨーロッパ語族は伝統に関して保守的だから。」なんて理由にもならない。(ていうか、インド=ヨーロッパ語族を出すなら、ケルトと長年接触して暮らしていたゲルマン人からの影響説のほうが有利かと…。)

ましてや、騎士文学としてのアーサー王伝説が書かれてから800年後の20世紀、それが書かれたフランスやイングランドから遥か隔たったオセチアの人々が、はるか昔に旅立って行ったまま戻らなかった同胞と全く同じ伝承を保持していた証拠など無い。変質しているか、完全に失われたあと他の民族の伝承を引き継いだ可能性すら無いと断言出来ないのではあるまいか。


■伝説は何時混じり合ったのか?


もう一つ問題なのが、この本のいう「アーサー王伝説」が、騎士文学として確立したのちのアーサー王伝説だということ。

以前エクスカリバーの変遷をネタにしたとき調べた話で、アーサー王伝説はブリテン島から大陸に渡り、フランスでエピソード付け足されてまたブリテン島に戻って来ていたりする。つまり、部分ごとに、ブリテン島で作られた/アーサー王伝説に組み入れられた 部分と、大陸で作られた/アーサー王伝説に組み入れられた 部分があることが予想される。その過程で、この伝説に触れた様々な人や民族の伝承が取り入れられた可能性があるのだが、その混入過程の文献が残ってないのだ。

異なる時代に属する資料を比較して「似て居る」部分を挙げたとしても、その伝説の過去の形が分からない以上、意味はない。「似るようになったのが何時からか」、これが重要なポイントだ。

アーサー王伝説は、12世紀になってようやく「文字」として書き留められ現在に残るに至るが、その時にはもう伝説はいろいろ交じり合ってしまったあと。原型は一つではないだろう。その一つにはアラン族の伝承があったかもしれない。だが、それ以外はケルトか、ゲルマン人か… あるいは詩人による創作、はたまた今は残っていない何処かの部族の伝承かも。

アラン人の神話がアーサー王伝説と似ていたとしても、どちらがより古かったかは分からないし、アラン人の神話が一方的にアーサー王伝説に影響し、アーサー王伝説からは何も受け取らなかったと言い切ることは不可能だ。まして片方は20世紀に民俗学者が記録したもので、それ以前の形態が不明と来ては…。

著者の言うアラン人の神話の影響は、(影響があったとしても)ブリテン島から大陸に渡った時代に受けた影響だと考えたほうが、時代的にも無理が無い。


■アラン人がブリテン島にいたように、黒海沿岸にケルト人がいた

さらに、著者たちが頭からスッポ抜けてそうなのが「ガラティア人」。東ローマの傭兵として雇われ、アナトリア平原に住み着いた約2万人のケルト人のことだ。住み着いたのは前3世紀。4世紀まで独自の文化を持って暮らしていた記録がある。

本書のP56-57で、著者はローマの傭兵として雇われ、ブリテン島でコロニーを作って住み着いたサルマティア人について語っている。ブルターニュにも住み着いたかもしれない、住み着いたサルマティア人は自分たちの伝統を現地にもたらしたかもしれない…と。だが、その説が成り立つのなら、逆に、ガラティア人と呼ばれたケルト人たちが自分たちの伝統を故郷に残ったアラン人やその他の騎馬民族に伝えた可能性だって否定できない。つまり、ブルターニュに定住したアラン人がケルトに影響しなかったことの証明が出来ないように、「アーサー王伝説に似ている」オセチアの神話が、アナトリアに定住したケルト人の影響を受けていないと証明することは出来ない。

移住者が現れる以前と以後の比較が欠落している以上、どちらがどちらに影響を与えたかの証明は不可能ということだ。



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著者たちがやろうとしたことの理解がこれで合っているならば、やろうとしたことと、その目的は「分かった」、だがそれを証明することは「出来ない」。時代をすっとばして比較しているが、飛ばされた時代の中間資料が存在しないからと、物事の従属関係(どちらが「主」でどちらが「従」か)を考えておらず、逆もまた真である場合が多すぎるからだ。

神話と神話の比較は、大きな枠組み、たとえばジョルジュ・デュメジルがやろうとしたような三神による基本機能体系のようなものなら理解できる。しかし細かいエピソードの枝葉の比較は意味があるとは思えない。そんなものは数十年もあれば生えたり抜け落ちたりするし、百年も経てば枝が幹になっていることだってあるだろう。歴史的事件からたった数百年後には壮大な英雄物語に成長していた「ロランの歌」なんかを見るといい。

スキタイからキャメロットへ続く道はあるかもしれない―― だが、その道を通ったのはアラン人やサルマティア人と呼ばれる人々だけではない。民族大移動の時代、ゲルマン系のゴート族も、アジア系と思われるフン族も、全く同じ道を辿って大陸から島へ、或いは島から大陸へと渡っている。著者が本の前半をかけて証明しようとした遊牧民族の広がりは、同じ手段を用いてゲルマン系諸民族にも、アジア系諸民族にも適応出来てしまうのだ。「たまたま」似ている神話が残っていたオセチアに目を付け、オセチア人の祖先であるアラン人を物語の主役に仕立てようとした、結論ありきの最初から無理のあった議論だといえる。


ちなみに、アーサー王伝説とセットで語られることの多い北欧神話については、ほとんど触れられることなくカッ飛ばされておりました…。「ヴォルスンガ・サガ」はちょろっと出てきたけど、「ん、大して似てないしナルト神話のほうが似てるよね。」って端折られたんだけど(笑)


黒いアテナ」ほど酷い本ではなかったが…しかし細かいところまでツッコむと大変なことになりそうな本ではある。


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このテの本でトンデモを見分ける方法。
「黒いアテナ」の時にネタにした、超三段論法↓を思い出して欲しい。

 (1)海にはクラゲという生き物がいる。
 (2)キノコの仲間にもキクラゲというものがいる。
 (3)ゆえにキノコはかつて海に住んでいたはずである。(ここで突然トンデモに)


事実や証拠から推測を引き出す(一段目)のは、問題ない。が、推測に推測を重ねる(二段目)のは絶対にダメなんだ。「〜かもしれない、だとすれば〜ということもありえる」というのは、要するに何でもアリの世界だから。

 「古代、トンボなどの昆虫は今よりも大きかった時期がある。」(事実)

 「と、いうことは、植物も今より大きかったかもしれない」(一段目)
 ここまではOK

 「人も溶かせる巨大ウツボカヅラもあったかもしれない」(二段目)
 ここから何でもアリの世界


さらに三段目まで行くと、同じ根拠から180度異なる見方すら引き出せる。著者にとって都合のいい方向に跳躍出来てしまう。この本も、二段目までで止めずに、三段目まで突き抜けた挙句、その三段目をスタートにして全ての話を進め始めるから序盤からして胡散臭さ爆発、かつ全体的に意味の分からん状態になってるんだと思う。


ワイトはケルト教会は東方の影響を明らかに受けており、これが聖杯伝説が受けた東方の影響を説明すると主張している。しかし、このことは聖杯伝説の究極の起源をケルトであるとする訳ではない。ケルト教会の東方的性格は、スペインと南フランスの西ゴート人を媒介としてアイルランドに伝わったものであるとする研究者たちもいる。しかし、ここはアラン人が多く定住していた地域でもあり、アイルランドへアラン人たちが渡った場合もあったであろう。

P236



(1)ケルト教会は東方の影響を受けている<事実>

(2)スペインと南フランスにはアラン人も多く定住していた<事実>

(3)アラン人がアイルランドに渡って、自分たちの伝承をケルトに交じらせたかもしれない<推測>

(4)アラン人の持つ聖杯伝説がアーサー王伝説の元ネタになったかも
  <推測2段目、ここでアウト>


そもそもケルト人はかつては大陸中に広がって暮らしていたので、ゲルマン系の諸民族やアジア系遊牧民と隣人同士だった時代もあるんだから影響しあってても新発見でも何でもなかろう。…が、それはおいといて、ここで推測2段目の「タブー」に触れないためには、著者の主張する 5世紀にアラン人がアイルランドに渡って伝承を伝えた証拠 を見つけ、(3) を <事実> にすることが必要不可欠となる。それが出来ないうちは、この推論は何の意味も持たない。

全編を通して言えるのは、説としては魅力的に思えるが、あらゆる点において証拠不十分ということ。


あと… 文化の伝播には、異なる民族が継続して接触しあうことが必要だと思う。長期間、”お互いのアイデンティティを保ったまま” 接触するから一方が他方に影響を与えることが可能なわけで、そうでなければ、少数が多数に吸収されるだけだ。ある時点で少数の遊牧民族がケルト社会に入り込んだとしても、多数のケルト人に吸収されて一部がケルトに受け継がれるだけだ。現在残っているナルト神話とアーサー王伝説に明確な類似が見られるなら、まさにそれこそが、ナルト神話がアーサー王伝説の「原型」になった、という説の反証になりはしないだろうか?(原型になったなら、原型から発展した形と原型のままの話は似ていないはずだから。)


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エクスカリバーについての全般まとめは本体サイトのこちら↓の記事になります。
http://www.moonover.jp/2goukan/arthur/excalibur.htm

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