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zoom RSS 「フン族と匈奴は同一か?」という問題に見る各国の視点

<<   作成日時 : 2009/01/24 09:57   >>

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最初に、私とこの問題の接点がどこなのかを説明しておくと、サイト内でもブログでも取り扱っている中世ドイツ作品「ニーベルンゲンの歌」に登場するエッツェル王のモデルが、歴史上の人物、フン族の王「アッティラ」であるという部分だ。フン族とは、ヨーロッパへの移住者だった騎馬民族で、東からやって来たことは間違いない。アジア系の民族だったという点については、おそらく多くの学者が一致している。ただ、その起源が謎なのだ。

フン族は、ローマを混乱に落としいれ、ゴート族やブルグント族などゲルマン系の部族を追いやって玉突き式に民族大移動を発生させ、4-5世紀のヨーロッパを語る上ではスルーできない大きな存在である。にもかかわらず、文書などを自らの手で残しておらず、謎が多い。その謎を解こうとして、あまたの学者たちがチャレンジしており、今現在も答えはでていない。

この問題について過去に何度も理解を深めるべくチャレンジしてみたのだが、学者さんによって言ってることがかなり違う。^^; 「フン族は匈奴とイコールである」とするものから、「一部は同じである」「全くの別物である」、または「よくわからんから保留」とするものまで。みんな言ってることがバラバラ。証拠として提出されるものも、文書だったり遺跡だったり、それも本によって解釈が異なっていたり。何がなんだかサッパリな状態だった。


今回、その状態に一筋の光明を与えてくれたのが、この本。



アタリハズレの大きい「興亡の世界史」シリーズの二巻目。「スキタイと匈奴 遊牧の文明」。
内容的にも面白い本なのだが、最後のほうでフン族と匈奴の問題について触れられている。


フン族と匈奴の関係については、18世紀半ばにフランスの歴史家、J・ドギーニュが同属説を発表したのが最初なのだが、学者の所属する国によって傾向が違うというのだ。

・同族説が優位

ドイツ、ロシア、ハンガリー

・同属説に懐疑的 or 材料が足りないから保留

日本含む各国


と、いう感じらしい。
そこで本棚をあさって、過去に読んだことのあるフン族関連の本を探し出してみた…

アッチラとフン族 (文庫クセジュ 536)
白水社
ルイ・アンビス


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→著者フランス人


フン族―謎の古代帝国の興亡史
法政大学出版局
E.A. トンプソン


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→著者アイルランド人



…把握した。ものすごく納得した(笑)

それぞれなぞっているところは同じはずなのに微妙なバイアスを感じたのは、著者のバックボーンによるところもある、ということか。


上記のほかに、ドイツ人が書いたニーベルンゲンの歌の解説、日本人の書いたフン族に関する考察も読んだが、確かにドイツの解説はだいたいフン=匈奴が確定しているような書き方だった。対して、日本の学者たちはみんな懐疑的。いま思うと、中国の記録を読み漁れる日本は匈奴の資料を豊富に読めるぶん、匈奴の視点からヨーロッパの学者たちの説を補強したり論破したりしていたのかもしれない。

ドイツ、ロシア、ハンガリーという組み合わせも成る程と思う。
スキタイの遺跡のあるロシア、かつてフン族を祖先とした騎馬民族出身のハンガリー、ドイツはゴート族がフン族と直接対決をして敗走しているし。フン=匈奴説優勢なのは、いずれも直接的な因縁のある国とも取れる。ていうか、もしかしてフン族の正体とか出自とか実態とかいうものが物凄く重要な問題という認識の国と、そうではない国とでは考えてることが全然ちがうのではないか…?

と、いう点に気がつくと、人によって言ってることの方向がバラバラで混乱していたのがすっきりしてきたように思う。完全に中立な視点などない。誰しも言動の中で、己の所属する国や、文化を知らず知らずに反映している。学者といえど人間である以上、完全に中立な存在にはなりえない。

匈奴を対象とした後半では、文献資料が豊富にあるため考古学資料の比率はそれほど高くならなかったが、それでも第八章はまるまる考古学に充てることができた。ここにも近年の調査が反映されている。また、外からは客観的と思われているような考古学の発掘資料でも、その解釈には現代の国際政治が大きく影を落としている事実も指摘した。考古学とは、そういう学問でもある。

(「おわりに」より)



こういったことをズバっと書いてくれているのも、「スキタイと匈奴 遊牧の文明」に好感を持てたところだ。


****************************

で、そもそもの最初に戻って、「フン族と匈奴は同一か?」という問題だが、何故論争になるのかという点を簡潔にまとめると、こうなる。


●「匈奴」の資料は秦、漢の時代に多数残されている。

特に漢は、略奪された人や亡命した人が匈奴側に定着したり、人質の交換をしたりと、人と人との交流の歴史が長いため詳細な資料が豊富。匈奴以外の遊牧民族についての記録も多く残っている。


●「フン」の資料は主にローマに因るが、限定的。

ヨーロッパの人々は、あまり積極的にフン族と交流していないらしい。
残っている記録も断片的で、フン族は野蛮な民族とする差別的な内容が多い。
そもそも言葉が通じなかったんじゃないのかという気も…。

     ↓ ↓ ↓

両者が同一かどうかの判断がつかない
「なんか繋がりはありそうだよねー。起源は似てるかもねー。でも同じかどうかまでは分からないよ?」という感じで各学者さんの意見が揺れている。



●「匈奴」が漢の歴史に書かれなくなってから、ヨーロッパの歴史に「フン」が登場するまで200年の空白がある

匈奴はその晩期、二つに分裂し、南匈奴は漢に下り臣下の礼をとるが、北匈奴は従わず、西へ移動して漢から距離を取るようになったという。フン=匈奴説では、この、歴史から消えた北匈奴が西へ移動してフン族としてローマを攻撃したことになっている。ただ、それならば彼らは200年の空白の間どこにいたのか? ということが問題になる。

また、漢と頻繁にやり取りをし、一時は貢物も貰っていた匈奴というのは、野蛮な未開人などではなかった。策略に長け、王の絶対的な権力や簡素にして残酷な法律、身分、さらってきた人間に農耕をさせるなど複雑な社会も築き、自分たちの芸術も持っていた。その匈奴が、ヨーロッパに現れた時には文明を持たない全くの未開人として描かれているなどあり得るだろうか。200年の放浪の中で文明を失ったということなのか?
北匈奴そのものではなく、別の遊牧民の集団が、有名だった匈奴の名をとってフンと呼ばれたのではないのかという説はこうした事情から出てきたのだろう。



ヨーロッパにおけるフン族の目だった活動は、376年ごろの西・東ゴート族殲滅から始まり、強力な王だったアッティラの死亡とともに終了する。この間、わずか100年。アッティラ死亡後のフン族の足取りもまた、はっきりとは分かっていない。

証拠の無いもんは可能性で埋めるしかないのだが、確かに断言は出来ないのだよな。



<以下ちらしの裏>

*フン=匈奴説を推奨したい人がいるとすれば、たとえばフン族の子孫を自称する人。
*自分たちの祖先は本当は蛮族なんかじゃなくて、元はあの大国・漢とも渡り合った偉大な草原の大国家だったんです! と、言いたい。
*フン族に痛い目にあわされた人たちも、フン族が中国をギャフンと言わせた超強力な民族であってくれたほうが自尊心が傷つかなくていいかもしれない。どっかの馬の骨よりは。
*…それ以外の、直接関わりのない人は、わりとどっちでもいい。(笑)


*ちなみに中国側は、漢バンザイなので、漢を脅かした匈奴は蛮族扱い、いい感想持ってないようです。
*漢が匈奴にコテンパンにされ、匈奴に高価な貢物を送っていた歴史(ゴート族に対してローマが行ったように)なんかは、中国的には無いものにしたいようです
*中国よりな歴史家とそうじゃない歴史家だと、匈奴の扱いがかなり違います…


あと根本的に、EUの学者さんは中国由来の歴史資料の使い方が何かおかしいというか、ユニークというか…。当て字という概念が無いんじゃないのか的な反応をすることがある、ように思うのは私だけか。(匈奴は文字を持たなかった=漢字で書かれた記録は当て字=名称については、そもそも正確な音価じゃない可能性があるんでないの? 証拠になるのか?)
…言いたいことがわからん場合は、ルイ・アンビスの本を読んでみてくだしあ。

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