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zoom RSS クフ王の「太陽の船」復元について <太陽の船ではない可能性を、お忘れなく!>

<<   作成日時 : 2008/07/22 23:50   >>

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クフ王副葬品の第2の「太陽の船」、日本調査隊が復元へ というニュースを見て、ああやっぱりやっちゃうのか… と思った。

船はデカい。
第一の船の組み立てには10年を要した。第二の船もそんなに簡単には組み立ては出来ないだろう。
これから何年もかけて組み立てる。しかも、それを、掘り出した瞬間からずっと保存し続けなくてはならないのである。

ちなみに、この船が今まで形をくずさずに残ってきたのは、土の中にあったからだ。舟の収められていた杭の中の湿度・温度は一定に保たれていた。それと同じことを、絶えず空気と光にさらされる地上でやらなくてはならない。
いままで五千年の時を保存されてきたものは、掘り出さなければ、今後五千年持っていたかもしれない。
それを、たかだか数百年で劣化させては意味がない。
五千年保存! 出来るのか?


ちなみに↓ここが何気に重要だ。

 完成は2011年の予定で、完成後は日本の円借款でピラミッド近くに建設される「大エジプト博物館」に展示される計画だ。


つまり、日本の支援でつくられた博物館に、日本の支援の象徴として、デッカくて、目立つモニュメント的な目玉展示が欲しかったということ。それが「今」、この船の復元がなされることの、もう一つの意味だ。

太陽の船の復元には5億5000万円かかるという。
しかし、時の遺産はプライスレス。今後、最低五千年、船を保存していく管理コストと責任の重さを考えると、そんな値段で済むはずが無い。


古代のエジプトで使われた「船」の実物は、ほとんど現存していない。
それは木の育ちにくいエジプトにおいて、良質な木材というのは例外なく輸入品であって貴重な舶来物だったから。ピラミッド建設に使われた木のソリや丸太が現存しないのと同じ理由で、貴重な木材は道具として使い終わっても何度も再利用された。
船が作れるほどの大きな木片ならば、解体して家具にしたり、くしやヘアピンのようよ小さな日用品にしたり、何度も何度も使われていたはずだ。

王の埋葬に使われる舟も、必ずしも「船」の実物が埋められたわけではない。船のかたちをした坑、いわゆる「ボート・ピット」だけの場合もある。

貴重な木材をふんだんに使って残された船として貴重なのは確かだが、だからこそ、政治的な理由ぬきに、もう少し慎重に考えて欲しかったところもある。と、いうか、これだけ復元復元と騒いでおきながら、「太陽の船」とよばれているものが、実は太陽の船ではない可能性があることを、あんまり報道しないのは何故だろう。

それじゃ保存の意味がないと思うので、勝手にここで解説しはじめることにする。



ちなみに、この「第二の太陽の船」、発見したのは吉村作治じゃない。

それについては、別エントリ 吉村作治は、「太陽の船」を発見していない。 で書いた。ご本人の取り巻きから訂正依頼が来ないから、たぶん指摘に落ちは無いのだろう。

いつかツッコんでやろうと思っていたネット上の記事は、いつのまにか消えていた。吉村さん、「太陽の船は昼の船と夜の船の二隻があるんですよ。だから二隻めも必ずあると信じていました」とか言ってたと思うんだけど。


 そもそも、この船が「太陽の船」だという証拠は無くて、
 真っ先に出たのがそういう説だったから通称としてそう呼ばれているだけなうえ、
 王墓の側に存在する船は二隻とは限らない。


二隻だった先例がないし、二隻とも決まっていないのに、なぜ二隻目が近くにあると分かったのか(笑)
自分が見つけたことにするための理由が何か欲しかったのかもしれないけど、逆にそれは揚げ足を取られるだけろう。



王墓の近くにある船の実例は、こんな感じだ。


◆カセケムイ王の墓(舟坑はたくさん)

画像

 
◆ジェドエフラーのピラミッド(舟坑は1つ)

画像


ちなみにクフ王のピラミッドだって、実際は、船は二隻じゃない!

◆クフ王のピラミッド(舟坑は今のところ5つ。加えて、衛星ピラミッドの脇にも在る)

画像



太陽の船だから「昼の船」と「夜の船」がある、という説を散々ぱらテレビや著作でやってたわりに、実は二隻じゃない。残りの船(坑)は一体なんだ。それとも二隻が太陽の船で、残りは別の船の坑か?

一隻目(と、その近くの二隻目の舟坑)が見つかった1954年時点で、一番最初に言われたのが「太陽の船」説だ。
しかし、これについての反論もある。


(1)舟杭は2つではない。

太陽の舟の昼/夜 という説はこれで崩れる。


(2)船の形が太陽船の典型例と異なる。

副葬品にふくまれる模型や墓の壁画から見える「太陽の船」の形と、発掘された木片からの復元が違う。復元された船の先端部分はゆるやかにカーブして花の形をつくっているが、「太陽の船」なら先端部分は直立して四角い。

復元された船はどっちかというと王が川で舟遊びをするときなどに使う娯楽船の形で、それゆえに「これ太陽の船じゃなくて娯楽船に使うつもりだったんじゃないの?」という説が生まれた。ただし、実際に水に浮かべた形跡はなく、底が浅いため波には弱い。


(3)クフ王の時代に、太陽船の信仰があったかどうかの確証がない。

「太陽の船」というのは、太陽が空を横切るための船だ。昼(地上)の空を、東から西へと横切るのが昼の船。夜(地下)を西から東へ横切るのが夜の船。死して天に昇り、太陽と一体化した死者は、太陽に伴走して空を巡る、という思想から生まれた。
しかしクフ王の時代はまだピラミッド内に装飾はなく、パピルス文書で太陽賛歌や死者の書のようなまとまった宗教文書が登場するのはもっと後の時代。船は単に、日常的な渡し舟やロバと同じように移動に使われる副葬品の一つとして埋葬されたという可能性も、なくはない。



結局、現在では「太陽の船」という通称が使われ、第一の船の収められた建物は一般的に「太陽の船博物館」と呼ばれながらも、それらが太陽の船だという確証はない。「太陽の船」は可能性のあるひとつの呼び名に過ぎず、たぶん単に「クフ王の船」と呼ぶのが妥当だと思う。


しかし太陽の船でなくたって、死者をあの世へ送るために船を側に埋葬することは在り得るのだ。

ナイルの流れはエジプト人にとって人生そのものだった。あの世はこの世の写しであり、死後の世界にもナイルは在る。死者があの世で困らないように、重要な移動手段である船を埋葬したかもしれない。

また、貴重な木材を使った船は富と権力の象徴でもある。ミイラに金銀を供するのと同じように、墓の側に財産である船を埋めたのかもしれない。

こういう遺物は、それを造った人のことを考えて色んな可能性を想像できるから楽しいんですな。



っていうところまでツッこんで特番組めば、かなりイイ感じに深くてマニアも納得の内容になると思うよ?>どっかのテレビ局




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